幕末一覧

政治の遅れは1年で取り戻せても文化の復興には150年かかる

2014年の祇園祭は、49年ぶりに後祭が復活したこと、その後祭の山鉾巡行で150年ぶりに大船鉾(おおふねほこ)が巡行したことが話題となりました。 ところで、なぜ、大船鉾が150年もの間、山鉾巡行に参加しなかったのでしょうか。 それは、150年前に京都で起こった大きな戦争が原因なんですね。

勤王婆さんと呼ばれた「てい女」ゆかりの小川亭跡

京都には、幕末や明治維新の史跡が多く残っています。 有名なものから、あまり人に知られていないものまで。 一体どれくらいあるのかはわかりませんが、その数の多さは、他の時代の史跡よりも相当多いでしょうね。 京阪電車の三条駅の南にバスターミナルがあります。 そのバスターミナルの南側のビルには、勤王婆さんと呼ばれた「てい女」ゆかりの小川亭の後を示す石碑が立っています。

木屋町にある坂本竜馬の妻・お竜の寓居跡

坂本竜馬の妻のお竜(りょう)さんは、寺田屋で竜馬が幕府の役人に捕えられそうになった時、入浴中だったにもかかわらず、着るものも着ずにその危険を彼に報告したことで知られています。 そのお竜が、坂本竜馬と出会う直前まで住んでいたとされるのが、木屋町です。 現在、木屋町の都会館という建物の前にお竜の寓居跡を示す石碑が立っています。

御陵衛士の間者の粛清・京都守護職屋敷跡

慶応3年(1867年)3月。 新撰組の参謀であった伊東甲子太郎(いとうかしたろう)が仲間とともに御陵衛士(ごりょうえじ)を結成しました。 これは、事実上の新撰組脱退だったのですが、伊東は局長の近藤勇(こんどういさみ)に自分たちは脱退ではなく分離しただけだと主張します。 そして、薩長と親密に交わり、その機密を入手して新撰組の活動に役立てると言って、自分たちの脱退をうまく正当化しました。 ただ、伊東は、自分に味方する者すべてを脱退させたわけではなく、スパイとして、佐野七五三助(さのしめのすけ)、茨木司(いばらきつかさ)、中村五郎、富永十郎など10名の同志を新撰組に残しておき...

池田屋事件でとばっちりを受けた人々

元治元年(1864年)6月5日。 この日は、京都市中京区の三条木屋町にあった池田屋に新撰組が討ち入った日です。 今からちょうど150年前の出来事ですね。 このブログでは、以下の記事で池田屋事件を紹介しています。 池田屋事件の跡地は今どうなっているのか? 事件から、ちょうど150年にあたる節目の年なので、再び、今回の記事でも池田屋事件のことを採り上げます。 ただ事件の内容を改めて書くと、過去記事と同じになってしまうので、今回は、池田屋事件でとばっちりを受けた不幸な人々を紹介します。

大黒寺の伏見寺田屋殉難九烈士の墓

京都市伏見区に大黒寺というお寺が建っています。 大黒寺は、江戸時代に薩摩藩と深い関係があったお寺で、墓地には、文久2年(1862年)4月23日に起こった寺田屋事件で、命を落とした9人の藩士のお墓があります。 以前から、大黒寺に9人のお墓があることは知っていたのですが、実際に見たことがなかったので、先ごろ、お墓参りに行ってきました。

伏見の会津藩駐屯地跡と土佐藩邸跡

京都市伏見区は、幕末の歴史の舞台によく登場する地域です。 寺田屋事件や坂本竜馬が幕府の役人に捕えられそうになったのも、伏見ですね。 幕末に伏見で起こった最も大きな事件と言えば、鳥羽伏見の戦いではないでしょうか。 幕府の主力となった会津藩は、この戦いで伏見御堂(ふしみみどう)を駐屯地とし、その近くには、新政府につくか幕府につくか立場が明らかでなかった土佐藩の伏見藩邸もありました。

近江屋跡に坂本竜馬の肖像が出現

慶応3年(1867年)11月15日に京都市中京区の近江屋で、坂本竜馬と中岡慎太郎が暗殺されました。 近江屋事件については、以前に過去記事で紹介していますので、ご覧になってください。 坂本竜馬と中岡慎太郎の最期の地・近江屋 近江屋は、人通りの多い河原町通の四条と三条の間にあるので、ご存知の方が多いことでしょう。 私もこの辺りは、よく通るのですが、近江屋跡にあったコンビニがなくなって違うお店になっているのに気づいたのは、つい最近のことです。 そう言えば、人込みを避けるために裏道を歩くことが多く、河原町通は、最近、あまり歩いていなかったんですよね。

会津藩と新撰組がたてこもった伏見奉行所

近鉄電車の桃山御陵前駅から南に5分ほど歩いた辺りに桃陵団地(とうりょうだんち)があります。 この桃陵団地は、江戸時代に伏見奉行所があった場所です。 慶応4年(1868年)1月。 伏見奉行所にたてこもった会津藩と新撰組は、その北にある御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)に陣取っていた薩摩藩と激しい戦闘を繰り広げました。

車道を向いて立つ梅田雲浜邸跡の石碑

京都市中京区の烏丸御池駅は、地下鉄烏丸線と東西線が交差する駅です。 この烏丸御池駅の北東角から北に100メートルほど歩いた辺りに車道を向いている石碑が立っています。 歩道からでは、ただの石柱が立っているだけにしか見えませんが、車道からだと「梅田雲浜邸址」と刻まれているのがわかります。