天誅組の墓碑・京都霊山護国神社
文久3年(1863年)8月に起こった天誅組の変は、後に倒幕の導火線となった事件として評価されるようになりました。 天誅組を率いたのは、土佐藩出身の吉村寅太郎で、京都市東山区の京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)には、彼と天誅組の墓碑があります。
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文久3年(1863年)8月に起こった天誅組の変は、後に倒幕の導火線となった事件として評価されるようになりました。 天誅組を率いたのは、土佐藩出身の吉村寅太郎で、京都市東山区の京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)には、彼と天誅組の墓碑があります。
前回の記事では、京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)の池田屋事件殉難者の墓碑を紹介しました。 池田屋事件は、元治元年(1864年)6月に起こり、長州系の浪士たちが新撰組に斬られたり捕縛されたりしました。 それに怒りを覚えた長州藩が、翌月に大挙して京都に攻め上り、幕府軍と戦ったのが禁門の変です。京都御所の蛤御門(はまぐりごもん)が激戦地であったことから蛤御門の変とも呼ばれています。 その時の殉難者の墓碑も京都霊山護国神社にあります。
元治元年(1864年)6月に起こった池田屋事件では、長州藩士を中心に多くの志士が新撰組と会津藩によって斬られたり、捕縛されたりしました。 池田屋事件は、明治維新を1年遅らせることになったといわれているように幕末史における重大事件のひとつに数えられます。 その時の殉難者たちのお墓が、京都市東山区の京都霊山護国神社(きょうとりょうぜんごこくじんじゃ)にあります。
京都市東山区の霊山(りょうぜん)に京都霊山護国神社が建っています。 霊山には墓地があり、そこには、明治維新のために尽くした志士1,356名の御霊が祀られており、その中には、坂本竜馬と中岡慎太郎のお墓もあります。 今まで、一度は京都霊山護国神社の墓地に行ってみようと思っていましたが、なかなか機会がなく行けていませんでした。 このままだと、一生行かないなと思ったので、先日、時間をとって京都霊山護国神社にお参りをしてきました。
文久3年3月11日の孝明天皇の賀茂行幸で、外国人を日本から追い出すための攘夷祈願(じょういきがん)が行われた後、今度は、八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)への行幸が行われることになりました。 石清水行幸では、幕府に外国人を追い払う攘夷実行を誓約させることが目的で、画策したのは賀茂行幸と同じく長州藩とそれに加担する公卿たちでした。
文久2年(1862年)2月。 孝明天皇の妹の和宮(かずのみや)が14代将軍徳川家茂(とくがわいえもち)に嫁ぎました。 これは、幕府が国難を乗り切るために朝廷と力を合わせる公武合体を実現するために求めたもので、朝廷は、幕府の政治体制の改革、将軍家茂の上洛、外国人を日本から追い出す攘夷(じょうい)の決行期日と具体策の策定を条件に和宮を嫁がせることを承諾しました。 幕府は、この条件を飲んだため、翌文久3年に将軍家茂が上洛することとなります。
京都市左京区に金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)というお寺が建っています。 境内の東の小高い丘には、塔頭(たっちゅう)の西雲院(さいうんいん)が建ち、そこには、幕末に京都で亡くなった会津藩士たちの墓所があります。 墓所に埋葬された会津藩士は352名。そのうち237名が文久2年(1862年)から慶応3年(1867年)に亡くなった藩士たちで、残り115名は慶応4年正月に起こった鳥羽伏見の戦いで戦死した藩士たちです。 鳥羽伏見の戦いで会津藩は、旧幕府軍に属し、新政府軍と戦って負けています。 会津藩の戦死者は、戦場に野ざらしとされていましたが、会津藩の仲間(ちゅうげん)であった...
京都御所の一般公開で、明治天皇紀附図のパネル写真が一部公開されていました。 その中で、京都御苑の北側にある中山邸跡が明治天皇生誕の地として紹介されていたので、御所の拝観を済ませた後に中山邸跡にも寄ってみることにしました。 中山邸跡は、以前にも見たことはあったのですが、通り過ぎる時についでに見る程度だったので、今回はじっくりと見学することに。
慶応4年(1868年)1月に始まった鳥羽伏見の戦いは、その名のとおり、京都市の鳥羽と伏見で新政府軍と旧幕府軍が戦いました。 現在の京阪電車伏見桃山駅と近鉄電車桃山御陵前駅の近くでは、北に新政府軍の薩摩藩、南に旧幕府軍の会津藩と新撰組が陣取り、激しくぶつかり合いました。 その時の弾痕が、今も京料理屋の魚三楼(うおさぶろう)に残っています。
慶応4年(1868年)4月25日。 この日、東京の板橋で新撰組局長の近藤勇(こんどういさみ)が斬首されました。 その後、彼の首は京都に送られ、三条河原にさらされました。