京都には、京都五山と総称される禅寺があります。
五山制度は、中国の南宋の制度にならったもので、鎌倉幕府が禅宗寺院のランク分けに用いた制度です。
当初の五山制度は、鎌倉のお寺に適用され、後に京都のお寺にも採用されました。
京都五山に列せられたお寺は、その時代によって異なり、室町時代に南禅寺、天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺の6つとなりました。
ところで、五山なのになぜ6つなのでしょうか?
足利義満のわがままで五山に列せられた相国寺
実は、京都五山に最初は相国寺が入っていませんでした。
相国寺は、室町幕府3代将軍の足利義満が建立した禅寺です。
相国寺が完成した時、すでに京都五山は、第1位が南禅寺、第2位が天龍寺、第3位が建仁寺、第4位が東福寺、第5位が万寿寺と定められていました。
しかし、義満は自分が建立した相国寺をどうしても五山に入れたいと思っていました。
そこで、義満は、五山制度を改革し、第1位の南禅寺を別格として五山の上に置き、相国寺を京都五山に加えたのです。
さらに義満は、相国寺を京都五山の第1位にしました。
しかし、義満が亡くなった後、足利義持によって相国寺の順位は下げられます。
そして、京都五山の順位は、別格が南禅寺、第1位が天龍寺、第2位が相国寺、第3位が建仁寺、第4位が東福寺、第5位が万寿寺となりました。
京都五山が南禅寺を含めると6つになるのは、上記のような理由があったんですね。
それでは、以下で各寺院を簡単に紹介しておきます。
別格の南禅寺
南禅寺は、亀山天皇の離宮を正応4年(1291年)に寺に改めたのが始まりです。
三門は、石川五右衛門が「絶景かな」と言ったことで知られていますが、これは作り話です。
また、境内には、琵琶湖疎水が流れる水路閣が建っています。和風の建物に混ざって洋風の建築物があるお寺は、珍しいですね。
第1位の天龍寺
天龍寺は、暦応2年(1339年)に足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うために創建したお寺です。
境内には、嵐山と亀山を借景とした池泉回遊式庭園があり、人気の観光名所となっています。
第2位の相国寺
相国寺は、この記事の最初の方でも紹介したように足利義満によって建立されました。
境内はとても広く、各建物が整然と並んでいます。
以前は、七重大塔という高さ約109メートルの建物がありましたが、15世紀に落雷や火災に遭って焼失しています。
第3位の建仁寺
建仁寺は、建仁2年(1202年)に栄西によって建立されました。
建仁寺には、小泉淳作が描いた「双龍図」を始め、「風神雷神図」など様々な絵画が保存されています。
第4位の東福寺
東福寺は、嘉禎2年(1236年)に九条道家が祖先を弔うために建立を開始し、彼の死後、子の実経が完成させました。
東福寺と言えば、秋の紅葉が有名です。
境内に植えられたたくさんのカエデが赤色やオレンジ色に紅葉している景色は絶景ですね。
第5位の万寿寺
万寿寺は、東福寺の塔頭(たっちゅう)です。
永長年間(1096-1097年)に白河上皇の皇女の郁芳門院の菩提を弔うために六条内裏の御所を寺に改め、六条御堂としたのが始まりです。
天正年間(1573-1592年)に現在の東山区に移転し、明治時代に三聖寺を合併しました。
万寿寺は、観光客の拝観ができません。
京都五山に列せられているお寺は、万寿寺を除き、どこも観るものが多く、京都観光におすすめです。
1日で全て観ることは可能ですが、それだと、各寺をじっくりと拝観できないので、それぞれの魅力を楽しめません。
なので、京都五山のお寺に訪れる際は、欲張らずに1日2か所程度にしておくのが良いですね。