京都には、変わった地名がいろいろあります。
そして、なぜ、このような名が付いているのかと不思議に思うような地名ほど、何か由来があるものです。
京都市中京区の手洗水町(てあらいみずちょう)も、変わった地名ですね。
もちろん、手洗水町にもその名の由来があります。
祇園祭の時に開く御手洗井
地下鉄四条駅、または阪急烏丸駅を出て、烏丸通を北に5分ほど歩いたところが手洗水町です。
その手洗水町には、烏丸通を正面に見る鳥居が建っています。
ホテルチェックイン四条烏丸の近くですね。
この鳥居の奥にあるのは、御手洗井(みたらいい)と呼ばれる井戸です。
御手洗井の説明書によると、この地は古くから祇園社御旅所社務藤井助正の屋敷があった場所で、庭前に牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)を建て、毎朝、この霊水を奉供していたようです。
祇園社は、今の八坂神社のことです。
つまり、ここは八坂神社の御旅所があった場所なんですね。
永禄11年(1568年)に上洛した織田信長は、御旅所を移転した後も、この井戸水が格別であることを聞き、井戸に施錠し、毎年祇園祭の時のみ鍵を開いて諸人へ神水を施行したそうです。
鳥居には七五三縄(しめなわ)が結ばれています。
これは、東裏の竹やぶから竹2本を伐り取り、山科から丈八の松2本を持参して井前の鳥居に結び付けて七五三縄を張ることを例としたもので、現在まで続いています。
明治45年(1912年)3月に烏丸通が拡張されたため、旧地より原形のまま東に移動したそうですから、それ以前は、現在よりも少し西にこの井戸はあったのでしょう。
御手洗井からは、今でも清水が湧き出ていますが、平成9年(1997年)に開業した地下鉄東西線の工事で水脈が途絶えたこともありました。
普段は、鳥居の前に柵があり、井戸にも蓋がしてあるので、枯れた井戸のように見えますが、毎年祇園祭が行われている7月14日に井戸換えが行われ、15日から24日まで井戸が開かれています。
御手洗井がある辺りが手洗水町と呼ばれるようになったのは、豊臣秀吉の時代の頃で、町民の申し出により当町名となったのだとか。
手洗水町界隈は、京都市のビジネス街なので、平日は多くのビジネスマンやOLの方たちが御手洗井の前を行き交っています。
そこに鳥居があるのが当たり前になっているのか、誰も気に留めることなく北へ南へ歩き去っていきます。
御手洗井が開いているのを見たい方は、7月15日から24日に訪れてください。
祇園祭の宵山の時が良さそうですね。