京都市下京区の寺町四条は、電気店街として有名です。
寺町通の西側に家電量販店やパソコンショップが並んでおり、東側にはお寺や神社が並んでいます。
古いものと新しいものが向かい合っている姿は何とも不思議な光景ですね。
古いものが建ち並ぶ東側には、赤穂浪士の討ち入りに協力したことで知られる天野屋利兵衛のお墓がある聖光寺(しょうこうじ)も建っています。
天野屋利兵衛は男でご座るの石碑
聖光寺には、阪急河原町駅から西に5分ほど歩くと到着します。
山門はいつも閉まっているので中に入ることはできません。
入口の左手前には「天野屋利兵衛は男でご座る」と刻まれた石碑が置かれています。
天野屋利兵衛は、赤穂浪士の討ち入りのために武器を用意しますが、それが役人にばれてしまいます。
厳しい拷問を受けても「天野屋利兵衛は男でござる」と言って口を割らなかったとされていますね。
忠臣蔵は、創作なので本当にこのような台詞を天野屋利兵衛が口にしたかどうかはわかりません。
上の写真に写っている天野屋利兵衛の石碑が聖光寺になぜ置かれているのでしょうか。
おそらく、聖光寺に彼のお墓があることが理由でしょうね。
お寺の前の説明書には、大石内蔵助の母と綿屋善右衛門好時(わたやぜんえもんよしとき)のお墓があると書かれています。
この綿屋善右衛門好時が天野屋利兵衛のことです。
聖光寺だけではなく、天野屋利兵衛のお墓は右京区の地蔵院にもあります。
また、山科区の大石神社にも天野屋利兵衛は祀られています。
鎮西聖光上人遺蹟
さて、聖光寺ですが、ここは平安時代後期に仏師の康慶の居宅があった場所です。
その後、鎮西上人こと聖光房弁長(しょうこうぼうべんちょう)の草庵となります。
鎮西上人は、浄土宗の開祖法然上人の許に8年間通い浄土宗の法灯を受け継いだと伝えられています。
鎮西上人が元久元年(1204年)に帰郷する際、康慶がその別離を悲しみ、彼の真影をこの草庵に奉安し聖光庵と名付けたことが、当寺の始まりとのこと。
山門の右手前には、「鎮西聖光上人遺蹟」と刻まれた石碑が立っており、ここが鎮西上人ゆかりのお寺であることがわかります。
本堂には、鎌倉時代の作と伝えられる嵯峨式釈迦如来立像を安置しています。
また、寺宝として青海曼荼羅(せいかいまんだら)と当麻曼荼羅(たいままんだら)の二幅が伝わっているそうです。
寺町四条で買い物をする際は、聖光寺の「天野屋利兵衛は男でご座る」の石碑も、ぜひご覧になってください。