新春に参拝した宝塔寺・2022年

1月上旬に京都市伏見区の伏見稲荷大社に参拝した後、南に約10分歩き、宝塔寺を訪れました。

宝塔寺は、日蓮宗のお寺です。

境内は広く、歴史もあるお寺なのですが、この付近に訪れる旅行者や観光客が少ないことから境内で人を見かけることはほとんどありません。

新年を迎えたばかりで、伏見稲荷大社の参拝者が普段よりも多いのですが、宝塔寺まで足を運ぶ人は少ないようです。

冬の寒々とした境内

宝塔寺には、京阪電車の龍谷大前深草駅から東に10分ほど歩くと到着します。

宝塔寺の入り口には、四脚門の総門が建っています。

総門

総門

総門をくぐると緩やかな坂道となっている参道が東に向かって延びています。

参道わきでは、この時期によく見かけるナンテンの赤い実がなっていました。

ナンテン

ナンテン

このナンテンは、葉が赤く色づいていますね。

ナンテンによっては紅葉しないものもありますが、何が違うのでしょうか。

参道を上りきった先には朱色の仁王門が建っています。

仁王門

仁王門

この仁王門は、江戸時代の宝永年間(1704-1711年)に建立されたものです。

その名のとおり、門の左右には怖い顔をした仁王さまがいらっしゃいます。

そして、仁王門の天井は、美しい花天井となっています。

花天井

花天井

約250枚の花の絵が描かれています。

ちなみに花天井は、平成12年(2000年)に修復されています。

仁王門をくぐった先の石段上には、慶長13年(1608年)に建立された本堂が建っているので、お参りをしましょう。

本堂

本堂

この本堂は、京都の日蓮宗のお寺では最も古い本堂で、中には、本尊の釈迦如来の他、十界曼荼羅の左右に日蓮上人と日像上人の像が祀られています。

日蓮上人は、日蓮宗を開いたお坊さんとして有名ですね。

日像上人は、徳治2年(1307年)にこの時の住持であった良桂が帰依したお坊さんです。

もともとは真言宗のお寺でしたが、この時に日蓮宗に改宗しました。

そして、日像上人の死後、上人が京都に通じる7つの街道の入り口に立てた法華題目の石塔婆のひとつを上人の廟所に立て、宝塔寺と改称しています。

別の説として、康永元年(1342年)の日像上人の没後にその廟所として鶴林院(かくりんいん)と改称し、応仁の乱(1467年)で荒廃した後に日銀(にちごん)が寺を復興し、宝塔寺に改められたとも伝えられています。

本堂の南側には、永代供養塔の寂光廟があります。

寂光廟

寂光廟

さらに南には墓地があり、その入り口には室町時代の永享10年(1438年)に建立された多宝塔が建っています。

多宝塔

多宝塔

この多宝塔の屋根は、行基葺という珍しい噴き方をしています。

行基葺は、丸瓦の尻幅が細く、後ろの瓦を直接重ねていく葺き方です。

上の写真だと、わかりにくいですね。

本堂の前には慈母観音がいらっしゃいます。

慈母観音

慈母観音

慈母観音の左腕には、赤ちゃんが抱かれていますよ。

慈母観音の隣の手水屋には浄行菩薩もいらっしゃいます。

浄行菩薩

浄行菩薩

この日は、空が曇っており、宝塔寺にいる間はとても寒かったです。

鐘楼

鐘楼

鐘楼の頭上は、空を白色にやや灰色が混ざったような雲が覆い、雪が降りだすのではないかと思うような天気でした。

1月の京都の寒さを感じながら、参道を西に歩き宝塔寺を後にしました。

この後は、藤森神社に参拝します。

なお、宝塔寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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