江戸時代の俳人である松尾芭蕉の弟子に向井去来(むかいきょらい)がいます。
向井去来は、京都の嵯峨にある落柿舎(らくししゃ)を営んだ人物であり、松尾芭蕉も元禄2年(1689年)に初めて訪れて以来、落柿舎に合計3回訪問しています。
松尾芭蕉が嵯峨日記を書いた場所は、落柿舎ですね。
京都の向井去来の遺跡としては、落柿舎が有名ですが、左京区の真如堂(しんにょどう)にも向井去来の句碑があります。
善光寺如来の出開帳法要に参列
真如堂には、市バス停「錦林車庫前」から西に徒歩約5分で到着します。
参道の石段を上りきったところには三重塔が建っており、その前に茶所があります。
元禄7年(1694年)の6月下旬から8月30日に真如堂で信濃・善光寺如来の出開帳法要が行われました。
善光寺如来は、模造が数体あり、真如堂の茶所にはそのうちの1体が安置されています。
当時、善光寺は、本堂の修復などのために出開帳法要で資金を集めており、真如堂でも出開帳法要が行われたんですね。
一方で、真如堂も、前年から当地に復帰再建を進めている最中でした。
真如堂での出開帳法要は、善光寺如来を一目見ようと多くの参拝者でにぎわい、向井去来もまた法要に参加していました。
その時の様子を詠んだのが以下の句です。
涼しさの 野山に満つる 念仏かな
茶所の近くには、向井去来が詠んだ上の句が刻まれた石碑が置かれています。
石碑は、人の腰くらいの高さがあります。
中央に「涼しさの」と刻まれており、そして、左側に「野山に満つる」と右側に「念仏かな」が刻まれています。
ちなみに真如堂の阿弥陀如来は、長野県の善光寺の阿弥陀如来、京都嵯峨の清凉寺の釈迦如来とともに日本三如来と呼ばれています。
去来の寺
真如堂の境内の西に塔頭(たっちゅう)の覚円院が建っています。
当院は、向井去来の菩提寺で、去来の寺とも呼ばれています。
境内には、向井去来のお墓もあるそうですが、中に入ったことがないので見たことがありません。
覚円院の前の参道は、桜や紅葉が美しく、春や秋に真如堂に参拝した時に歩きたくなりますね。
善光寺如来の出開帳法要が行われた夏に真如堂に参拝し、向井去来の句を口ずさみながら、覚円院の前の参道を歩くのも良いでしょう。
真如堂に参拝した時には、ぜひ、向井去来の句碑もご覧になってください。
なお、真如堂の詳細については以下のページを参考にしてみてください。