9月上旬。
京都市伏見区の瑞光寺に参拝した後、5分ほど南に歩き嘉祥寺にもお参りをしました。
嘉祥寺を訪れるのは、随分と久しぶりのことです。
もう10年くらい経つでしょうか。
おそらく、参拝したのも、その時の1回だけだと思いますね。
嘉祥寺の境内で咲くシュウカイドウ
嘉祥寺は、京阪電車の藤森駅から東に徒歩約10分の場所に建っています。
嘉祥寺の入り口の前に到着。
門が少しだけ開いていたので、ここから境内に入ります。
手水屋の手水鉢には水が入っていません。
参拝者は、蛇口をひねって手を清めるようになっているのでしょう。
隣の井戸には水が入っているのでしょうか。
境内の北側に本堂が建っているので、お参りをしましょう。
お寺の説明書によると、嘉祥寺は、嘉祥4年(851年)2月に文徳天皇が先帝の仁明天皇の菩提を弔うためにその陵の傍らに清涼殿の建物を移して、真雅を開山に迎え寺としたのが始まりということです。
年号をとって寺名としたお寺には、仁和寺や建仁寺などがありますが、多くはありません。
嘉祥寺も、その数少ないお寺のひとつであります。
元慶2年(878年)には定額寺となって官寺の扱いを得、寺域も広大だったのですが、平安時代後期に衰微して仁和寺別院となりました。
さらに応仁の乱(1467年)によって焼亡します。
応仁の乱は、京都市中心部が主な舞台でしたが、伏見区の稲荷山も戦場となりましたから、嘉祥寺も被害を受けたのでしょうね。
現在、嘉祥寺は狭いながらも存続しています。
ということは、応仁の乱の後に再建されたということです。
寛文年間(1661-1673年)にかつて深草十二帝陵の管理に当たっていた安楽行院を空心律師が再興した際、同院境内に聖天尊を祀って嘉祥寺も再興されました。
さらに元禄12年(1699年)には、勅許を得て本堂も上棟されたそうです。
ただし、再興後の嘉祥寺は、旧寺域とは離れた場所にあり、寺名を引き継ぐだけとなっています。
嘉祥寺は、聖天尊を祀っていることから深草聖天とも呼ばれており、開運招福の信仰があります。
また、本堂には十一面観音や不動明王像も安置されているそうです。
本堂の近くでは、シュウカイドウが咲いていました。
シュウカイドウの花を見ると、秋を感じますが、京都はまだ暑さが厳しいです。
立派な松も境内に植えられており、奥には鎮守社もありましたよ。
深草十二帝陵
嘉祥寺の西側には、深草十二帝陵があります。
深草十二帝陵を管理していた安楽行院は、現在はありません。
深草十二帝陵は、なかなか立派な陵墓であります。
やはり、12人の天皇のお墓だから立派なのでしょうか。
深草十二帝陵に埋葬されている天皇は、以下のとおりです。
- 後深草天皇
- 伏見天皇
- 後伏見天皇
- 後光厳天皇
- 後圓融天皇
- 後小松天皇
- 稱光天皇
- 後土御門天皇
- 後柏原天皇
- 後奈良天皇
- 正親町天皇
- 後陽成天皇
深草十二帝陵は、入り口にあった宮内庁の案内に深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)と記されています。
現在は、深草北陵が正式名称なのでしょうね。
嘉祥寺に参拝した際は、ぜひ、深草北陵もあわせて参拝してください。
この後は、嘉祥寺の東隣の真宗院に参拝しました。
なお、嘉祥寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。