初秋に参拝した寂光寺・2017年

9月中旬。

京都市左京区の寂光寺(じゃっこうじ)に参拝しました。

寂光寺は、仁王門通沿いに建つ顕本法華宗のお寺です。

この日は、参拝する予定はなかったのですが、近くの頂妙寺に参拝した後、寂光寺の前を通りかかったので、こちらにもお参りして行こうと思った次第です。

端正な境内

寂光寺の最寄り駅は、京阪電車の三条駅、または地下鉄の三条京阪駅です。

どちらの駅からも北東に5分そこそこ歩けば、寂光寺の山門の前に到着します。

山門

山門

北向きに開く山門の手前には、「碁道名人 第一世本因坊算砂旧跡」の石柱が立っています。

碁道名人 第一世本因坊算砂旧跡

碁道名人 第一世本因坊算砂旧跡

この石柱からわかるように寂光寺は、囲碁と関係のあるお寺です。

山門をくぐった左側にも本因坊の石碑があります。

本因坊の石碑

本因坊の石碑

境内は、どことなく碁盤を連想させる端正な造りであります。

境内

境内

それでは本堂にお参りをしましょう。

本堂

本堂

寂光寺は、天正6年(1578年)に日淵によって創建されたのが始まりで、当初は久遠院(くおんいん)と称していました。

創建された場所も現在地とは異なり、京都御所の西の室町出水でした。

その後、寺町二条に移転し、宝永5年(1708年)に現在地に定まりました。

先ほど囲碁と関係があるお寺と述べましたが、当寺2世の日海が囲碁の名人だったのです。

彼の囲碁の師匠は仙也(せんや)とのこと。

日海は、寂光寺内塔頭(たっちゅう)の本因坊に住んでいたことから本因坊算砂と号しました。

当時、本因坊算砂は囲碁の世界で敵なしだったので、織田信長から「名人」の名を贈られています。

また、豊臣秀吉や徳川家康にも囲碁を教え、以後、本因坊の名称は碁界家元の地位を持ち、技量卓抜な者が襲名継承することとなりました。

その後、4世の道策の時に本因坊は江戸に移りました。

境内の南側には、本因坊歴代墓所があります。

本因坊歴代墓所

本因坊歴代墓所

戸が開いていましたが、中に入るのは控えました。

墓所の近くに建つ庫裡(くり)。

庫裡

庫裡

拝観受付と書かれていたので、中に入ることができるみたいです。

でも、この日は戸が閉まっていたので、拝観できるのかどうかわかりませんでした。

本堂の手前に置かれた仏足石。

仏足石

仏足石

本堂の右前は、白砂、石組、刈込があり、ちょっとした庭園のような感じです。

白砂と石組

白砂と石組

きれいに刈り込まれた杉の生け垣が一直線上に伸びています。

生け垣

生け垣

こういうところにも、どとこなく囲碁と関係のあるお寺だなと感じますね。

以前に寂光寺があった寺町二条には、現在、碁盤が置かれています。

興味がある方は、その碁盤も見に行ってはいかがでしょうか。

なお、寂光寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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