6月中旬に京都市伏見区の鳥羽に建つ安楽壽院(あんらくじゅいん)に参拝しました。
今では、安楽壽院を知る人は少ないですが、当院が建つ地は平安時代後期に鳥羽離宮があった場所です。
当時は、都が鳥羽に遷ったかのような賑わいだったそうですよ。
無人の境内
安楽壽院は、地下鉄または近鉄電車の竹田駅から南西に5分ほど歩いた辺りに建っています。
民家や会社のビルが多く建ち並んでいる中に木々が生い茂った一帯が見えてくると、そこが安楽壽院の境内です。
東側の参道から安楽壽院の境内に入ります。
参道からでも、境内に人が全くいないことがわかります。
かつて、安楽壽院に参拝した時に人がいっぱいだったことはないんですけどね。
山門の前にやってきました。
いつも山門が閉まっているので、これより中に入ったことはありません。
でも、境内の西側にお堂が建っているのでお参りはできます。
まずは、薬師堂にお参り。
続いて大師堂にもお参りをします。
大師堂の戸の一部に大根のようなニンジンのような形の穴があります。
これは何を意味するのでしょうか。
大師堂の次は、隣の鎮守社にもお参りをしておきました。
鎮守社の西には、本御塔と書かれた扁額がかかる建物があります。
安楽壽院は、鳥羽上皇を開基として保延3年(1137年)に建立され、続いて2基の塔、炎魔堂、九体阿弥陀堂、不動堂などが加えられました。
本御塔というのは、2基の塔のうちの1基で保延5年に建てられた三重塔です。
本御塔は鳥羽上皇が自らの葬堂として建立したもので、保元元年(1156年)に崩御した後、実際に塔内に葬られました。
安楽壽院の説明書によると、現在、当院に伝えられる阿弥陀如来像が、本御塔の本尊だったと推定されています。
阿弥陀如来像を造立したのは、鳥羽離宮の造仏のほとんどを担当した円派仏師のひとりと考えられています。
空梅雨の影響か、境内に敷かれたコケが茶色ですね。
夏の到来までにたくさんの雨が降って欲しいところです。
2つの天皇陵
安楽壽院には、鳥羽天皇と近衛天皇の陵があります。
境内の西にあるのは、鳥羽天皇安楽壽院陵(とばてんのうあんらくじゅいんのみささぎ)です。
本御塔に葬られた鳥羽天皇は、今はこちらで眠っているのでしょうか。
境内の南にある多宝塔は、近衛天皇安楽壽院南陵(このえてんのうあんらくじゅいんのみなみのみささぎ)です。
この多宝塔は、鳥羽上皇が建立した2基の塔のうちのひとつの新御塔で、中宮美福門院のために建立されました。
しかし、美福門院の子の近衛天皇がわずか17歳で崩御したことから、新御塔には近衛天皇が葬られることになりました。
京都には多くの天皇陵がありますが、その中でも近衛天皇の陵はとても立派ですね。
境内の南西には、この地が白河法皇と鳥羽法皇の院政の地であったことを示す石碑も置かれています。
ちなみに白河天皇の陵は、安楽壽院から5分ほど西に歩いた辺りにありますよ。
梅雨の安楽壽院には誰もおらず、心静かにお参りできました。
なお、安楽壽院の詳細については以下のページを参考にしてみてください。