豊臣秀吉の北野大茶会で使われた茶席東陽坊・建仁寺

天正15年(1587年)に豊臣秀吉が北野大茶会を盛大に催しました。

お茶好きなら身分に関係なく誰でも参加できたそうですから、秀吉の太っ腹さがよくわかります。

この北野大茶会で、副席として用いられた茶室が、現在も京都市東山区の建仁寺に残っています。

東陽坊長盛好みの茶室

建仁寺の最寄り駅は京阪電車の祇園四条駅で、そこから東に5分ほど歩くと建仁寺に到着します。

北野大茶会で使われた茶室は東陽坊と呼ばれるもので、建仁寺の大方丈や庭園を拝観すると見ることができます。

ちなみに建仁寺の拝観料は500円です。

大方丈から降りてスリッパを履き、「東陽坊」と示された方向に向かうと、竹垣で仕切られた一帯が現れます。

その1ヶ所に門が設置されているので、ここから中に入ります。

入り口

入り口

門をくぐって右側にある建物が茶席の東陽坊です。

東陽坊

東陽坊

東陽坊は、現在の左京区にある真如堂の塔頭(たっちゅう)の東陽坊の住職を勤めていた東陽坊長盛(とうようぼうちょうせい)好みの茶室と伝えられています。

長盛は、千利休に茶道を学び、終生、炉に火を絶やさず、侘び茶を楽しんでいたそうです。

千利休も長盛を可愛がり、「東陽坊」の文字を鋳込んだ釜と長次郎作の黒茶碗を与えました。

これが、利休七種の中の東陽坊だそうです。

長盛は、北野大茶会で紙屋川の土手に茶室を作りました。

これが茶席東陽坊です。

ちなみに下の写真の左奥に写っている垣は建仁寺垣です。

左奥には建仁寺垣

左奥には建仁寺垣

東陽坊の窓は、比較的小さく数も少な目です。

また、床に墨蹟窓がなく、これは利休風な作風だそうです。

窓

茶室内部は、二帖台目(にじょうだいめ)で下座に床を構えています。

湯かの隣は茶道口で、二枚襖の大きな口とし、台目一畳の控えを隔てて勝手の間と水屋に連なっています。

室内

室内

勝手の間は二畳台目向板入りで丸炉を切り、風炉先窓があけられて、水屋手前ができるように工夫されているとのこと。

茶道に疎い私には、何のことかよくわからないのですが、すばらしい茶室ということなのでしょう。

東陽坊長盛は、慶長3年(1598年)4月5日に84歳で亡くなりました。

現在、彼のお墓は、真如堂の墓地にあります。

建仁寺は、東陽坊だけでなく海北友松(かいほうゆうしょう)の襖絵などが展示されていて、安土桃山時代の文化を身近に体験できます。

なので、安土桃山時代に興味がある方なら建仁寺の大方丈や庭園を拝観する価値は十分にありますよ。

なお、建仁寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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