幕末の庶民教育機関であった教諭所(宣教館)

京都市中京区の東洞院三条に大きなビルが建っています。

このビルは、NTT西日本の京都支店の建物です。

京都市内は規制が厳しいので、あまり大きな建物を建てることができないのですが、中京区、特に三条烏丸周辺には比較的大きな建物がたくさんありますね。

話は変わりますが、NTT西日本の京都支店が建つ辺りは、幕末の庶民教育機関であった教諭所(宣教館)が置かれた場所でした。

明治2年まで続いた教諭所

教諭所跡の説明書によると、教諭所は、天保4年(1833年)に皆川淇園(みながわきえん)門下の北小路梅荘(きたこうじばいそう)が、室町丸太町下るの町屋に開校したのが始まりとのこと。

しかし、数年後に衰退し中絶します。

教諭所が再開されたのは、天保9年7月のこと。

前年の飢饉の際、経済活動に従事した心学講社の援助を受けて、東洞院三条下る住心院地内に新築、開講されました。

開講に際しては、豪商らからの基金積立が400両にも達し、当時の京都所司代であった間部詮勝は、「宣教館」の自筆額を与えて激励したそうです。

教諭所に対する庶民教育の期待度の高さがうかがえますね。

教諭所では、経書講釈や心学道話の授業も行われていましたが、飢民救済などの社会事業に積極的に参加したことがその特徴とされています。

社会福祉的な活動は、ある程度発展した社会でなければ、なかなか行われないでしょうから、当時の京都の人々は世界的に見て民度が高かったのかもしれません。

しかし、元治元年(1864年)7月の蛤御門(はまぐりごもん)の変で教諭所は消失します。

翌年2月に東洞院三条西北角に再建された後、明治2年(1869年)2月に下京四番組小学校となり教諭所は消滅しました。

下の写真に写っているのは、現在、教諭所跡に建っているNTT西日本の京都支店の建物です。

教諭所跡

教諭所跡

とても立派な建物ですね。

道幅が狭い三条通に面して建っているため、建物の全景を写真に収めることができませんでした。

烏丸通側からなら、建物全体を写すことができるのですが、説明書が立っているのが三条通側だったので、こちらから撮影しました。

三条通は狭い道路にもかかわらず、自動車がたくさん走っているので、気をつけて歩かなければひかれそうになります。

少しの時間の写真撮影中でも、注意しなければ車と接触しそうになりますね。

ちなみにNTT西日本の京都支店の南には六角堂が建っています。

なので、六角堂の参拝時にでも、教諭所跡の説明書を見に行くと良いのではないでしょうか。