京都市中京区に北は三条通から南は四条通まで続く新京極通があります。
新京極通はアーケードとなっているので、雨の日でも傘をささずに歩くことができます。
また、お土産物屋さんをはじめ、様々なお店が軒を連ねているので、修学旅行生や若者の姿がとても多い通りですね。
ところで、新京極通がなぜこのような名称になったかご存知でしょうか。
京都の通りの名称は、古くから使われているものが多いのですが、新京極通は、明治時代になってできた比較的新しい通りなんですよね。
寺町通の東に新設された新京極通
新京極通ができたのは、明治5年(1872年)のことです。
造ったのは、当時の京都府参事の槇村正直です。
新京極通の西側には、寺町通があります。
寺町通は、豊臣秀吉が京都を改造した時にお寺を1ヶ所に集中させるために造った通りです。
多くのお寺が寺町通に集まったことで、境内は縁日の舞台として利用されるようになり、周辺は見世物や催しを中心に発展していきました。
でも、明治時代初期は、都が東京に遷され京都は衰退していく一方。
そこで、槙村正直が市民の士気を盛り上げるために寺院の境内を整理して新京極通を造ったんですね。
隣の寺町通は、その昔、平安京の最も東に位置した東京極大路と呼ばれていました。
だから、その東側に新たに造られた通りということから、新京極通という名が付けられたのです。
新京極通にある説明書によると、明治10年頃には、芝居座、浄瑠璃、寄席などの興行場や飲食店などの多くの店舗が建ち並び、明治30年代には、東京の浅草、大阪の千日前とともに、日本の三大盛り場として知られるようになったとのこと。
そして、今でも、その賑わいは衰えることなく、新京極通は、たくさんのお店と多くの若者たちで賑わっています。
通りは、雑然としていて、あまり大人が落ち着いて歩けるところではないように思いますが、誓願寺や誠心院といったお寺もいくつか建っているので、そういった建物を見ると、ほっとしますね。
誓願寺は落語の始祖の安楽庵策伝が住職を勤めたお寺として知られており、誠心院も和泉式部とゆかりのあるお寺です。
こういった歴史的に興味が湧く名所があるのも、新京極通の魅力のひとつであります。
もしも、都が京都から東京に遷らなければ、今のような活気のある新京極通が誕生していなかったかもしれません。
そう考えると、東京遷都は、京都にとって、町を活気づけるために良いことだったのかもしれませんね。
ちなみに新京極通には七不思議もあるので、行く機会があれば、ぜひ探してください。