和歌山県の南東部に熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社があり、これらは熊野三山と呼ばれています。
熊野三山は、それぞれ20~40kmほど離れているので、3つともお参りをするのは、時間がかかります。
ところが、京都には、熊野三山を短時間で回ることができる場所があります。
それは、京都市東山区に建つ新熊野神社(いまくまのじんじゃ)です。
本殿の裏にある熊野古道
新熊野神社は、京阪電車の七条駅から南東に15分ほど歩いた辺りに建っています。
創建されたのは、永暦元年(1160年)のことで、生涯に数十回、熊野詣を行った熊野フリークの後白河上皇が平清盛に命じて社殿が建てられました。
その新熊野神社の本殿の裏に京の熊野古道があります。
入口は、本殿の左奥で、熊野古道入口と刻まれた石柱が立っています。
わずか10分で熊野三山御利益巡りが完了
入口から小さな丘に上がっていくと、そこには木々に覆われた道があり、様々な展示物が置かれていました。それぞれの展示物の近くには説明書もあります。
熊野は、神仏習合の発祥の地で、修験道や山岳信仰の聖地。その熊野信仰の世界を描いたのが、熊野本宮八葉曼荼羅(くまのほんぐうはちようまんだら)です。
熊野本宮八葉曼荼羅を基に作成されたのが、京の熊野古道にある熊野曼荼羅です。
四角い外枠は結界を意味しており、その中は9つのブロックに分けられています。
ブロックが空中に浮いているのは、神が空間を超えた存在であることを意味し、それぞれのブロックの隙間は、前から覗けば永遠の過去が、後ろから覗けば永久の未来が見通せることを現しているそうです。
熊野本宮八葉曼荼羅も置かれています。その隣には八葉の諸仏、諸菩薩を梵字(ぼんじ)に置き換えた梵字曼荼羅もありました。
稲葉根王子(いなばねおうじ)と柁枳尼天(だきにてん)。
稲葉根王子は稲荷神のことで、伏見稲荷大社の祭神として知られています。もともとは豊穣を約束する神さまとして信仰されていましたが、現在では商売繁盛の神さまとして信仰されています。
柁枳尼天は、延命長寿のご利益を授けてくれます。
入口近くの展示物を見た後は、本殿の右へと進んでいきます。
途中には、人々を熊野信仰の世界に導く発心門王子(ほっしんもんおうじ)と熊野の入口を守護する滝尻王子(たきじりおうじ)が祀られていました。
下の写真に写っているのは八咫烏(やたがらす)です。
八咫烏は三本足の烏で、神武天皇を樫原宮(かしわらのみや)まで道案内した熊野の神の化身と伝えられています。
本殿の右後ろ辺りには、小さな座像があります。これは、後白河法皇坐像です。
後白河法皇の時代に神護寺を再興した文覚(もんがく)は、那智の滝での荒行で息絶えましたが、不動明王の命を受けた矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)が蘇らせたと伝えられています。
なお、不動明王は、人々の煩悩を炎で焼き尽くす役割とその焼き殻を取り除き心を清浄に保つ神の役割を果たしており、神と仏がひとつになって人々を救っているそうです。
上の写真の中央の弥都波能売神(みずはのめのかみ)は不動明王です。
京の熊野古道もいよいよ終盤です。
遂に熊野三山に到着。
那智山には大小60の滝があり、自然神信仰の聖地とされています。
そのうち48の滝が滝篭(たきごもり)修行の行場として使われていたそうです。これらを総称して那智の滝と呼ばれていましたが、今では一の滝を那智の滝と呼んでいます。
本宮は、熊野川と音無川が合流する中州にあり、大斎宮(おゆみのはら)と呼ばれていました。
熊野速玉大神(くまのはやたまおおかみ)は、もともとは神倉山の山頂に祀られていました。
このことから神倉山にある神倉神社を本宮(もとみや)、現在の熊野速玉大社を新宮と呼ぶようになったそうです。
熊野三山を見た後は、階段を下りて新熊野神社の境内に戻ります。
京の熊野古道を散策するのにかかった時間は大体10分程度でしたね。
今まで何度か新熊野神社に訪れたことがあったのですが、本殿の裏に京の熊野古道があるとは知りませんでした。
同じところでも、何度も訪れれば新たな発見があるものですね。