三千院、青蓮院と並び天台宗の三門跡寺院とされる妙法院が、京都市東山区に建っています。
門跡寺院とは、皇室関係者が代々住職を勤めてきた格式の高いお寺のことです。そのためか、三千院も青蓮院もお参りするには拝観料が必要です。
ところが、妙法院は、他とは異なり境内に入るのに拝観料が必要ありません。
梅雨の時期に妙法院にお参りしてきましたので、今回の記事ではその内容をお伝えします。
クチナシが咲く境内
妙法院は、京阪電車の七条駅から東に10分ほど歩いた辺りに建っています。
境内は、石垣で囲まれ、まるでお城のようです。
妙法院の境内に入ると、庫裡(くり)と玄関がすぐに目に入ります。
庫裡の近くには、真っ白なクチナシの花が咲いていました。
境内を見渡すと、他の場所にもいくつかクチナシが植えられています。
どれも白い花を咲かせていましたが、中には、花が汚れて黄色くなっているものもありましたが。
見なかったことにしましょう。
本堂にお参り
妙法院には、何度か訪れたことがあるのですが、今までは庫裡と玄関を見るくらいしかできませんでした。
でも、今回は、今まで立ち入り禁止となっていた本堂へと続く道が開放されています。
本堂に進んでいいのかどうか迷ったのですが、特にとがめられることもなさそうだったので、お参りをすることに。
妙法院の本堂は普賢堂と呼ばれ、本尊として普賢菩薩が祀られています。
普賢菩薩は、延命尊といわれており、長寿のご利益を授けてくれるそうです。
また、巳年、辰年生まれの守護尊としても信仰されているとのこと。
それでは、お参りと思ったのですが、賽銭箱が見当たりません。
仕方ないので、軽くお辞儀をするにとどめました。
本堂の奥には、小さな祠が建っています。
この祠にお参りをしようと思ったのですが、どうやら立ち入り禁止のようです。
祠の奥には池があり、そのほとりには、アジサイとハナショウブが咲いていました。
ハナショウブは、よく見かける紫色の花とは違っていますね。
通りを挟んで本堂の左隣には、宸殿が建っています。
宸殿は、門跡寺院でよく見かける建物で、その造りを見ていると一般的なお寺の建物とは異なり、格式の高いものであることがわかります。
手入れが行き届いているというのか何というのか、古くなって傷んでしまっているようなところが見当たりません。
宸殿の正面には、七卿落ちの説明が書かれています。
七卿落ちは、文久3年(1863年)8月18日に京都御所でクーデターが起こり、長州藩とそれに与する7人の公卿が京都から追放された事件です。
境内には、七卿落ちの石碑もあります。
近くに寄って見ることはできませんでしたが、写真に撮って、自宅で石碑に刻まれた文字を読むと、事件に関わった三条実美(さんじょうさねとみ)の名や「徳川幕府之末」「志士」などの言葉があり、文章の内容は詳しくわからないものの七卿落ちのことが書かれているのは理解できました。
また、事件があった「文久三年八月十九日」の日付も見つけられました。
ちなみに七卿落ちについては、以下の過去記事で紹介していますので、ご覧になってください。
以前は、何やら石碑があるなとしか思ってなかったのですが、本堂へと続く道が開放されていたので、七卿落ちの石碑だと気づきました。
何度も訪れた場所でも新たな発見があるものですね。
なお、妙法院の詳細については以下のページを参考にしてみてください。