宮本武蔵が決闘前に立ち寄った八大神社

京都市左京区の詩仙堂の隣には、八大神社という神社が建っていますが、この神社は、宮本武蔵と所縁のある神社として知られています。

一乗寺下り松

八大神社は、叡山電車の一乗寺駅で降りて、東に15分ほど歩くと到着します。

途中、下の写真に写っている一乗寺下り松を通過しますが、ここは、宮本武蔵と吉岡一門が決闘した場所と伝えられています。

一乗寺下り松

一乗寺下り松

一本の松の近くには、「宮本吉岡決闘之地」の石碑が置かれており、さらにその近くには、楠正成の石碑もありますね。

ふと、一乗寺下り松の斜め向かいを見ると、そこには八大神社の鳥居が建っていました。

鳥居

鳥居

しかし、ここには鳥居だけがあり、社殿は建っていません。

実は、八大神社は、ここから5分ほど坂道を上った所に建っています。

八幡宮は八大神社の間違いか?

坂道を上り始め、詩仙堂の門までくるとその少し先に八大神社の鳥居が建っています。

ここが、八大神社の境内への入り口です。

境内への入り口

境内への入り口

鳥居の左側に宮本武蔵の文字が見えますね。

鳥居をくぐって、まっすぐ歩いて行くと左側に本殿が建っています。

本殿

本殿

八大神社の創建は、永仁2年(1294年)で、方除、厄除、縁結び、学業の神様として崇敬を集めています。

また、八大神社は、宮本武蔵が吉岡一門との決闘の前に参拝したとされていることから、必勝のご利益もあるそうです。

吉川英治の随筆太平記の中に収録されている随筆宮本武蔵の「京都一乗寺下り松」の章では、武蔵は、吉岡一門との決闘の前、八幡宮の拝殿に立ち、鈴も鳴らさず祈りもせずにそのまま一乗寺下り松の決戦の地に向かったということが書かれています。

それは、「我れ神仏を尊んで神仏を恃(たの)まず」という武蔵の信念であり、八幡宮に訪れた時にふと心にひらめいた武蔵の悟道だったにちがいないと吉川英治は解釈しています。

本殿の脇に立っている宮本武蔵の像の近くには、吉川英治の随筆宮本武蔵の文章が刻まれた石碑が置かれているので、参拝した時にご覧になってください。

宮本武蔵の像

宮本武蔵の像

さて、武蔵が吉岡一門との決闘の前に立ち寄ったのは、八幡宮だとされています。

しかし、一乗寺下り松の近くには、八幡宮はありません。

上記の吉川英治の随筆にも、「八幡神社と二天記にある記録は、八大神社のまちがいじゃないかなあ?」と書かれています。

また、その随筆には、八大神社を「高い土地から敵の背面を衝いて、突如と彼らの本陣へ直進することができる地」とも書かれており、武蔵が吉岡一門と決闘するのに都合の良い場所だったことをうかがわせます。

さらに、八大神社から坂道を10分ほど上っていくと狸谷山不動院が建っていますが、その境内には、宮本武蔵が修行したとされる滝があるので、決闘前に立ち寄った神社は八大神社だったというのは、十分に納得できます。

史実はどうなのかわかりませんが、吉川英治の随筆の中で登場したことが、八大神社が宮本武蔵と所縁のある神社とされたようですね。

なお、八大神社の詳細については、以下のページを参考にしてみてください。