絵馬発祥の地として知られる貴船神社には、貴船川を少し上流に行ったあたりに結社(ゆいのやしろ)と呼ばれる中宮があります。
この結社は、古くから縁結びの神様として信仰されており、平安時代には恋愛歌人の和泉式部も参拝したとされています。
縁結びの神様・磐長姫命
結社の祭神は磐長姫命(いわながひめのみこと)です。
結社にある立札を読むと、その昔、瓊々杵命(ににぎのみこと)が木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)をめとろうとした時、父の大山祇命(おおやまつみのみこと)が姉の磐長姫命も奨めたが、瓊々杵命が木花咲耶姫命だけを望んだため、磐長姫命はそれを大いに恥じて、当地に鎮座し縁結びの神様になったとのこと。
それ以降、恋を祈る神様として人々から厚く信仰されたそうです。
夫との仲を取り戻そうとした和泉式部
時は流れ平安時代。
夫との不仲に悩む和泉式部も結社に参拝に訪れました。
和泉式部は、大江雅致(おおえのまさむね)の娘として生まれ、橘道貞と結婚しました。
しかし、道貞とは仕事の関係で別居生活となり、二人の距離は気持ちの面でも離れていきます。
そんな時に、和泉式部は為尊親王(ためたかしんのう)と出会い恋に落ちます。この不倫関係はすぐに世間の知るところとなり、道貞と和泉式部との夫婦関係は破たんしてしまいます。
その後まもなく、為尊親王も亡くなり不倫関係も終止符を打つのですが、しかし、和泉式部は為尊親王の弟の敦道親王とすぐに恋に落ちます。
不幸は続くもので、この恋もすぐに敦道親王の死によって終わりを告げました。
和泉式部はしばらくの間、失意の中にいましたが、やがて藤原保昌と再婚します。
しかし、二人の関係はうまくいってなかったようです。
そこで、和泉式部は夫との不仲を解消しようと貴船神社の結社に参拝します。その時に詠んだのが下の歌です。
「物おもへば 沢の蛍も わが身より あくがれいづる 魂(たま)かとぞみる」
現代語に訳してみると、「あれこれと思い悩んでここまで来てみると蛍が川一面に飛んでいます。まるで魂が体から抜けて飛んでいるようです」となります。
和泉式部が歌を詠んだ後、男性の声で下のような歌が聞こえたそうです。
「おく山に たぎりて落つる 滝つ瀬の 玉ちるばかり ものな思ひそ」
この歌は、あまり深く思いつめるなという意味で、貴布禰の明神のお返しと伝えられています。
今でも結社の境内には、和泉式部の歌碑が置かれています。
その後、藤原保昌も亡くなり、和泉式部は一人となったそうです。
和泉式部にとっては、あまりご利益はなかったようですが、今でも縁結びの神様として結社は信仰されています。