平安時代一覧

非業の死を遂げた早良親王を祀る崇道神社

崇道天皇(すどうてんのう)。 延暦19年(800年)に早良親王(さわらしんのう)に贈られた称号です。 この時期、皇位についていたのは第50代の桓武天皇です。 では、崇道天皇は、第51代の天皇かというとそうではありません。実際の第51代天皇は平城天皇(へいぜいてんのう)です。 そうすると崇道天皇とは、一体どういった天皇だったのでしょうか。

平家全盛期にだけ並存した2つの三十三間堂

京都市東山区には、三十三間堂というお寺があります。 この三十三間堂、実は平安時代に2つあったことをご存知でしょうか。 ひとつは、今現在も存在している正式には蓮華王院(れんげおういん)という三十三間堂です。 もうひとつは、得長寿院と呼ばれていた三十三間堂です。 今回の記事では、蓮華王院と得長寿院を比較しながら紹介したいと思います。

下京区の源氏ゆかりの地を歩く

京都にはたくさんの史跡があります。 街を歩いていると、史跡の案内板や石碑が置かれているのに気付く方も多いのではないでしょうか。 私もある日、京都駅や四条烏丸などがある下京区を歩いていると「源氏ゆかりの地」と書かれた案内板を発見しました。

平重衡の運命を変えた南都焼討・安福寺

治承4年(1180年)5月。 以仁王(もちひとおう)が源頼政とともに平家追討のために挙兵します。 以仁王側には園城寺(おんじょうじ)などの僧も加わりましたが、最終的に平家によって鎮圧されました。 この挙兵に僧が加わったことが、後に平家による南都焼討へとつながり、その時の総大将であった平重衡(たいらのしげひら)の運命を変えることになります。

2つの若宮八幡宮

京都市には、下京区と東山区に若宮八幡宮が建っています。 もちろん、同じ名前なので両者は関係があります。 結論から言うと若宮八幡宮は、最初に下京区に建てられた後、東山区に移転しました。

応天門の変で衰退した住吉大伴神社

きぬかけの道を龍安寺から仁和寺に向かうちょうど中間地点に住吉大伴神社という神社が建っています。 あまり大きな神社ではないため、多くの観光客の方は、この神社を素通りしていきます。 しかし、住吉大伴神社の創建は古く、ある事件が起こらなければ、京都を代表するような神社になっていたかもしれないのです。