非業の死を遂げた早良親王を祀る崇道神社

崇道天皇(すどうてんのう)。

延暦19年(800年)に早良親王(さわらしんのう)に贈られた称号です。

この時期、皇位についていたのは第50代の桓武天皇です。

では、崇道天皇は、第51代の天皇かというとそうではありません。実際の第51代天皇は平城天皇(へいぜいてんのう)です。

そうすると崇道天皇とは、一体どういった天皇だったのでしょうか。

桓武天皇の弟

崇道天皇こと早良親王は、光仁天皇と高野新笠(たかののにいがさ)の間に生まれた子です。

同じ父と母から生まれた山部王(やまべおう)は、早良親王の兄にあたります。

光仁天皇は、第49代の天皇で、次期天皇となる皇太子には、井上内親王(いのえないしんのう)との間に生まれた他戸親王(おさべしんのう)が立てられました。

ところが、宝亀3年(772年)に井上内親王が、光仁天皇を呪詛したという罪で皇后を廃され、その子である他戸親王の皇太子の地位も剥奪されます。

その後、井上内親王と他戸親王は、幽閉先で非業の死を遂げました。

他戸親王の皇太子の地位が廃され、新たに皇太子となったのが、早良親王の兄の山部王で、彼は天応元年(781年)に即位し、桓武天皇となりました。

そして、兄の桓武天皇の即位により、早良親王は皇太子となったのです。

なお、他戸親王が皇太子の地位を奪われたのは、藤原百川(ふじわらのももかわ)の陰謀と伝えられています。

藤原百川は、天武天皇系から天智天皇系へと皇統を移すことを考えていました。

百川にとって、天武天皇系の他戸親王は邪魔だったので、呪詛事件を利用して皇太子の地位を奪い、天智天皇系の山部親王を皇太子に擁立したとされています。

藤原種継暗殺事件によって運命が変わった早良親王

第50代天皇に即位した桓武天皇は、都を奈良から京都の長岡京に遷します。

その時の長岡京遷都の責任者は藤原種継でした。

延暦4年9月23日の夜。

仕事熱心な種継は、現場の見回りをしていました。

と、その時、どこからともなく1本の矢が飛んできて、種継に命中します。

藤原種継暗殺事件の犯人は、当初はわかりませんでしたが、捜査を続けていくうちに大伴継人(おおとものつぐひと)が容疑者として逮捕されました。

そして、暗殺事件には、早良親王も関与していたと疑われ、彼も逮捕されてしまいます。

早良親王は、皇太子の地位を剥奪、乙訓寺(おとくにでら)に幽閉され、淡路島へ流されることとなりました。

しかし、早良親王にとっては、暗殺事件など身に覚えのないこと。

彼は、寺に閉じこもって食を絶ち、自分が無実であることを訴えます。

しかし、その声は桓武天皇には届かず、早良親王は恨みを残してこの世を去りました。

なお、早良親王が藤原種継暗殺事件に関与したとされたのは、我が子の安殿親王(あてしんのう)を皇太子にしたかった桓武天皇が、早良親王を邪魔と思い排除したかったからだと伝えられています。

つまり、早良親王は濡れ衣を着せられたということですね。

早良親王の怨霊から逃げるように平安京へ

早良親王が亡くなったことで、桓武天皇には邪魔者がいなくなったわけですが、彼の死後、不思議と天皇の身辺で立て続けに不幸なことが起こります。

母の高野新傘が亡くなり、安殿親王も重病に倒れます。

また、長岡京では、天変地異が相次ぎ、いつしか人々は早良親王の祟りだと恐れるようになりました。

そして、奈良から遷って僅か10年しか経たないのに、桓武天皇は、早良親王の怨霊から逃れるために都を長岡京から平安京に遷すこととしました。

さらに、本来なら桓武天皇の後、即位する予定だった早良親王に崇道天皇の追号を贈り、祟りを鎮めることにしたのです。

早良親王のみを祭神とする唯一の神社

平安時代は、天変地異の原因は怨霊の仕業とする御霊信仰(ごりょうしんこう)が盛んでした。

そのため、この時代には、恨みを残してこの世を去った人々を祀る神社がいくつも創建されています。

菅原道真を祀っている北野天満宮もそのひとつですね。

もちろん早良親王を祀っている神社も京都には存在します。

それが、左京区に建つ崇道神社です。

崇道神社には、叡山電車の三宅八幡駅から東に10分ほど歩くと到着します。

鳥居

鳥居

鳥居をくぐって、森の中に入っていくように長い参道を歩いて行くと、細い石段が現れます。

その石段を上り奥に進むと本殿が建っています。

本殿は石段を上った奥にある

本殿は石段を上った奥にある

崇道神社の詳しい創建年代はわかっていませんが、貞観年間(859-877年)ではないかと伝えられています。

祭神はもちろん早良親王です。

ちなみに早良親王のみを祭神として祀っているのは、崇道神社だけだそうです。

早良親王を祀っている神社には、他に上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)などがありますね。ここには、井上内親王と他戸親王も祀られています。

なお、崇道神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。