京都の歴史一覧

大坂淀屋が寄進した高灯籠がある與杼神社

京都市伏見区の京阪淀駅は、京都競馬場の最寄り駅です。 週末になると、たくさんの人が淀駅で降りますね。 駅を出て、京都競馬場とは反対の方向に5分ほど歩くと、與杼神社(よどじんじゃ/与杼神社)があります。 以前は、神社の入り口付近が淀駅の改札となっていましたが、現在は競馬場近くに駅が移ったため、與杼神社の周辺は、以前よりも閑散としています。 その與杼神社の本殿脇には、江戸時代の豪商の大坂淀屋とゆかりのある高灯籠が立っています。

三好三人衆の襲撃から足利義昭を救った僧侶の言葉・本圀寺の変

永禄12年(1569年)1月5日の早朝。 京都の六条にあった本圀寺を三好長逸(みよしながやす)、三好政康、岩成友通の三好三人衆が攻撃しました。 これを本圀寺の変とか六条合戦といいます。 本圀寺は、織田信長が室町幕府15代将軍に擁立したばかりの足利義昭が仮御所としていました。

御陵衛士の間者の粛清・京都守護職屋敷跡

慶応3年(1867年)3月。 新撰組の参謀であった伊東甲子太郎(いとうかしたろう)が仲間とともに御陵衛士(ごりょうえじ)を結成しました。 これは、事実上の新撰組脱退だったのですが、伊東は局長の近藤勇(こんどういさみ)に自分たちは脱退ではなく分離しただけだと主張します。 そして、薩長と親密に交わり、その機密を入手して新撰組の活動に役立てると言って、自分たちの脱退をうまく正当化しました。 ただ、伊東は、自分に味方する者すべてを脱退させたわけではなく、スパイとして、佐野七五三助(さのしめのすけ)、茨木司(いばらきつかさ)、中村五郎、富永十郎など10名の同志を新撰組に残しておき...

太平記・南北朝時代の史跡まとめ

京都には、たくさんの南北朝時代の史跡があります。 京都は、室町幕府ができた場所であり、また、鎌倉幕府の出先機関であった六波羅探題が置かれたところでもあったので、南北朝の争乱の舞台となったんですよね。 私は、過去に京都にある太平記や南北朝時代の史跡を探しては訪れ、ブログで紹介してきましたが、最近、それらの記事数が多くなってきたので、そろそろまとめておいた方が良さそうだなと思っていました。 ということで、この記事で、太平記・南北朝時代の史跡を紹介した記事を一覧にしてまとめておきます。

大黒寺の伏見寺田屋殉難九烈士の墓

京都市伏見区に大黒寺というお寺が建っています。 大黒寺は、江戸時代に薩摩藩と深い関係があったお寺で、墓地には、文久2年(1862年)4月23日に起こった寺田屋事件で、命を落とした9人の藩士のお墓があります。 以前から、大黒寺に9人のお墓があることは知っていたのですが、実際に見たことがなかったので、先ごろ、お墓参りに行ってきました。

伏見の会津藩駐屯地跡と土佐藩邸跡

京都市伏見区は、幕末の歴史の舞台によく登場する地域です。 寺田屋事件や坂本竜馬が幕府の役人に捕えられそうになったのも、伏見ですね。 幕末に伏見で起こった最も大きな事件と言えば、鳥羽伏見の戦いではないでしょうか。 幕府の主力となった会津藩は、この戦いで伏見御堂(ふしみみどう)を駐屯地とし、その近くには、新政府につくか幕府につくか立場が明らかでなかった土佐藩の伏見藩邸もありました。

阿弥陀寺の織田信長と信忠父子の墓

京都市上京区の寺町通に建つ阿弥陀寺。 ここは、歴史ファンの方なら、ご存知かもしれませんが、織田信長と嫡男の信忠のお墓があるお寺です。 織田信長は、天正10年(1582年)6月2日に家臣の明智光秀に宿泊していた本能寺を襲撃され、天下統一を目前にしてこの世を去りました。 燃え盛る本能寺の中で自刃した織田信長の遺体は、その後、見つからなかったと伝えられていますね。

企業の駐輪場の一角にある南蛮寺跡の石碑

京都市中京区の姥柳町(うばやなぎちょう)に呉服・和雑貨などの卸商社である和光株式会社があります。 卸商社なので、一般消費者とは直接関係することはあまりなさそうです。 ある日、和光株式会社の前を通りかかったところ、その駐輪場に石碑が置かれているのに気づきました。 何の石碑か気になって近づいたところ、それは、南蛮寺跡を示すものでした。

近江屋跡に坂本竜馬の肖像が出現

慶応3年(1867年)11月15日に京都市中京区の近江屋で、坂本竜馬と中岡慎太郎が暗殺されました。 近江屋事件については、以前に過去記事で紹介していますので、ご覧になってください。 坂本竜馬と中岡慎太郎の最期の地・近江屋 近江屋は、人通りの多い河原町通の四条と三条の間にあるので、ご存知の方が多いことでしょう。 私もこの辺りは、よく通るのですが、近江屋跡にあったコンビニがなくなって違うお店になっているのに気づいたのは、つい最近のことです。 そう言えば、人込みを避けるために裏道を歩くことが多く、河原町通は、最近、あまり歩いていなかったんですよね。