京都の歴史一覧

松平容保が宿所とした清浄華院

文久2年(1862年)。 京都では、不逞浪士たちが天誅騒ぎを起こし騒然としていました。 これを幕府が放置するわけもなく、新たに京都守護職という役職を設けて、京都の治安維持を図ります。 京都守護職に就任したのは、会津藩主の松平容保(まつだいらかたもり)でした。 松平容保は、京都市左京区の金戒光明寺に本陣を置き、上京区の京都府庁がある地を守護職屋敷としました。 この2ヶ所が京都市の会津藩ゆかりの地として有名ですが、他にも京都御苑の東に建つ清浄華院(しょうじょうけいん)も松平容保が宿所として利用したことがあります。

人臣最初の摂政となった藤原良房の邸宅があった染殿第跡

京都市上京区にある京都御苑は、江戸時代以前は公卿の邸宅がたくさん建ち並んでいました。 現在では、京都御苑を代表する建物は、京都御所や仙洞御所などが一部残っているだけです。 公卿の邸宅があった地には、それを示す立札や石碑がありますが、建物はほとんど残っていません。 京都御苑内の北東には、かつて藤原良房の邸宅「染殿第」がありましたが、こちらも他の邸宅跡と同じく建物は残っていませんね。

白河上皇の熊野詣出立の地・城南宮

京都市伏見区の鳥羽に建つ城南宮は、平安時代後期に院政の舞台となった鳥羽離宮があった地です。 鳥羽離宮は、白河上皇、鳥羽上皇、後白河上皇、後鳥羽上皇といった歴代の上皇と深いかかわりがあります。 これらの上皇は、熊野詣が大好きで、4人の上皇を合わせると90回ほど熊野に参詣しています。 そして、これら上皇の熊野御幸の出立の地となったのが、現在、城南宮が建つ鳥羽だったのです。

本能寺の織田信長のお墓

天正10年(1582年)6月2日。 この日は、織田信長が京都の本能寺で明智光秀によって自害に追い込まれた本能寺の変が起こった日です。 本能寺は、現在も京都市中京区の寺町御池に残っていますが、事件が起きた時とは違う場所にあります。 でも、境内には、織田信長のお墓があり、参拝者は誰でもお参りできます。

雨月物語を書いた上田秋成のお墓がある西福寺

京都市左京区にある南禅寺の参道脇の狭い道を北に1分ほど歩くと、西福寺というお寺が建っています。 浄土宗の小さなお寺で、普段は門が閉まっていて中に入ることはできません。 なので、観光で訪れるお寺ではありません。 でも、ここには江戸時代の読本系の作家で、雨月物語の著者である上田秋成のお墓があるということなので、先日、立ち寄ってみました。

聖光寺の入り口にある天野屋利兵衛の石碑

京都市下京区の寺町四条は、電気店街として有名です。 寺町通の西側に家電量販店やパソコンショップが並んでおり、東側にはお寺や神社が並んでいます。 古いものと新しいものが向かい合っている姿は何とも不思議な光景ですね。 古いものが建ち並ぶ東側には、赤穂浪士の討ち入りに協力したことで知られる天野屋利兵衛のお墓がある聖光寺(しょうこうじ)も建っています。

西本願寺と大徳寺に残る聚楽第の遺構

聚楽第(じゅらくだい/じゅらくてい)は、豊臣秀吉が京都の住いとして造営した建物です。 秀吉は、関白に就任した翌年の天正14年(1586年)から聚楽第の造営に着手します。 天正11年から大坂城の築城も始まっていたので、秀吉は一度に2ヶ所の大工事を実施したんですね。