京都の歴史一覧

最初の里内裏となった土御門烏丸邸

京都市上京区にある京都御所は、元弘元年(1331年)に光厳天皇(こうごんてんのう)が即位して以降、天皇の住いである内裏(だいり)となりました。 かつて、平安京の大内裏は、現在の京都御所よりもっと西にあり、二条城が建つ辺りでした。 その大内裏の中に内裏があったのですが、火災に遭うたびに貴族の邸宅を仮の内裏として一時的に利用していました。 この仮の内裏を里内裏(さとだいり)と言います。 そして、元弘元年に土御門東洞院殿(つちみかどひがしのとういんどの)を里内裏として以来、明治2年(1869年)まで御所として使われ続けました。

二條家邸跡の地下通路と井戸

藤原氏には、摂政や関白に就ける五摂家と呼ばれる家がありました。 五摂家には、近衛、九条、二條、一條、鷹司があり、鎌倉時代から江戸時代まで摂政や関白に就いていましたが、明治時代に入ると五摂家から摂政にも関白にも任命されなくなりました。 五摂家の史跡は、今も京都市内に残っています。 上京区の京都御苑の北側に建つ同志社女子大学にも、五摂家のひとつ二條家の史跡が残っています。

壬生寺の壬生官務家墓塔と人丸塚

京都市中京区に建つ壬生寺(みぶでら)は、新撰組ゆかりのお寺として有名です。 境内の壬生塚には、新撰組局長の近藤勇他、新撰組隊士のお墓があり、新撰組ファンの方々の参拝が絶えません。 その壬生塚には、参拝者にあまり注目されていない壬生官務家(みぶかんむけ)墓塔もあります。

二条城の東大手門は後水尾天皇の行幸時に一時的に高麗門になった

京都市中京区に二条城が建っています。 二条城は、徳川家康が慶長8年(1603年)に築城し、京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として使われていました。 この二条城は、拝観することが可能で、その入り口となっているのは堀川通に面した東大手門です。 豪壮な櫓門(やぐらもん)は、まさに城の防衛のための建造物といった感じで威圧感があります。

新町通にあった三井京両替店

京都市中京区の新町通と六角通が交わる辺り。 ここは、かつて後鳥羽上皇の御所が置かれた場所と伝わっています。 江戸時代に入ると、当地は龍野藩脇坂家の京藩邸の一部となりましたが、貞享3年(1686年)に越後屋呉服店の創業者三井高利が両替店を開きました。

京都にある徳川時代の銀座と金座の跡

東京の有名な繁華街に銀座があります。 東京に限らず、他の地域でも銀座と名の付く繁華街がいくつもありますね。 現在では、銀座は栄えている場所に使われる地名という印象があり、東京の銀座がその元祖のように思われている方が多いでしょう。 ところが、銀座発祥の地は京都市伏見区で、現在の京阪電車伏見桃山駅を出てすぐの場所が銀座町と呼ばれています。

花山院家邸内にあった花山稲荷大明神

京都市上京区の京都御苑の中に宗像神社という神社があります。 その宗像神社の境内には、いくつか社が建っており、その中のひとつに花山稲荷大明神(かざんいなりだいみょうじん)が祀られています。 この花山稲荷大明神は、太政大臣をつとめることもあった藤原北家花山院家の邸宅にもともと祀られていました。

豊臣秀次一族終焉の地・瑞泉寺

2月中旬。 京都市中京区の木屋町三条に建つ瑞泉寺に参拝しました。 瑞泉寺は、観光客や旅行者の方には、あまりなじみのないお寺ですが、歴史的には豊臣秀次一族が処刑された地として知られています。 豊臣秀次は、豊臣秀吉の命により高野山で切腹させられていますが、秀次の一族39人は、この地で処刑されています。

今も昔も外国人旅行者で賑わう円山公園

京都市東山区にある円山公園は、京都市民の憩いの場であるとともに旅行者や観光客の方が休憩する場所として、いつも賑わっています。 円山公園が造られたのは、明治19年(1886年)ですから、国内でもかなり古くからある公園です。 春になるとたくさんの桜が咲く円山公園は、近年、特に多くの方がお花見に訪れるようになっていますね。 ところで、円山公園が、今のように賑わいだしたのはいつごろからなのでしょうか。 つい最近のように思われるかもしれませんが、実は古くからこの界隈はリゾート地として栄えていたのです。

京都新英学校及京都女紅場の跡地に建つ旧京都中央電話局上分局

京都は、お寺や神社が多い街です。 そのため、旅行や観光で京都にお越しになる多くの方は、和の風情を求めていると思います。 ところが、京都に来てみると、お寺や神社などの和風建築物に混ざって、明治から昭和初期に建てられた近代建築物が意外と多いことに気付くはずです。 特に京都御苑の周辺には、近代建築物がたくさん建っていますね。 鴨川に架かる丸太町橋の西側に建つ旧京都中央電話局上分局も、そのひとつです。