浅くて船が通れない白川にまつわることわざ
滋賀県大津市から京都市の鴨川まで流れている白川は、とても浅い川で船が通れません。 川沿いに住んでいる人は、普段から目にしていますし、なんなら足を浸けたこともあるでしょうから、船が使える川ではないとわかっています。 でも、白川を見たことがない人だと、それなりに水深がある川だと想像し、船も浮かぶものだと思っているかもしれません。
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滋賀県大津市から京都市の鴨川まで流れている白川は、とても浅い川で船が通れません。 川沿いに住んでいる人は、普段から目にしていますし、なんなら足を浸けたこともあるでしょうから、船が使える川ではないとわかっています。 でも、白川を見たことがない人だと、それなりに水深がある川だと想像し、船も浮かぶものだと思っているかもしれません。
京都市上京区に堀出シ町(ほりだしちょう)という地名があります。 何やら買い物をすると、お手頃価格で良い品が手に入りそうに思えますが、掘り出し物を見つけられるという意味で名づけられたのではありません。 そもそも「堀」の字が違いますし。 かつて、この辺りは、室町幕府の花の御所があり、それが堀出シ町の由来と伝わっています。
京都市下京区の四条烏丸の交差点から烏丸通を南に200メートルほど歩いた場所は、二帖半敷町(にじょうはんじきちょう)という町。 しかし、二帖半敷町を町名で呼ぶ人はまれ。 いや、二帖半敷町以外も、町名で呼ばれることが少ないのが京都の特徴です。 だいたい南北の通りと東西の通りで、その場所を指すことが多く、北は綾小路通、南は仏光寺通に挟まれた二帖半敷町は、烏丸通綾小路下ルや烏丸通仏光寺上ルなどという方が馴染みがあります。 その二帖半敷町ですが、町名の由来は五条寺にあると伝えられています。
糺(ただす)の森は、京都市左京区に残る原生林。 下鴨神社が鎮座する地として古くから京都人に親しまれてきた地。 森の中に入ると気温が幾分低く感じられることから、暑い夏でも比較的涼しく感じられます。 糺の森の語源は諸説ありますが、この辺りの地形が由来とする説が現在に伝えられています。
京都には難読地名がいくつもあり、下京区の不明門通もその一つ。 普通に読めば「ふめいもんどおり」ですが、勘の良い人はそのまま読むのはまちがいと気づき、「あかずのもんどおり」と答えるかもしれませんね。 でも、それも違います。 「不明門通」は、「あけずどおり」と読みます。 ところで、その不明門通は、なぜこのような名になったのでしょうか。
京都市中京区に饅頭屋町(まんじゅうやちょう)という町名があります。 北は三条通、南は六角通まで、三条通の西側一帯と東側の一部が饅頭屋町で、その名から想像できるようにまんじゅうが由来。 実は、京都の饅頭屋町は、東京にあるお菓子の老舗「塩瀬総本家」とも深い関係があります。
京都市伏見区の京都競馬場付近は、かつては、桂川、宇治川、木津川が合流して淀川となる三川合流地帯でした。 この辺りが淀と呼ばれるのも、淀川との関係を連想させます。 東には巨椋池(おぐらいけ)もあったことから、見渡す限り水が溢れかえっているような景観だったのでしょうが、現在は住宅街となっているため想像するのが難しい。 でも、街中にひっそりと立つ「淀小橋旧址」と刻まれた石碑を見ると、一帯が川に囲まれていた時代があったことを認めざるを得ません。
三条大橋から三条通を西に約5分歩くと、アーケード街に入ります。 そのまま屋根の下をさらに西に3分ほど歩くと、南に向かって、お土産物屋さんや飲食店、若者に人気のお店が軒を連ねる新京極通が延びています。 新京極通を南下し、六角通を過ぎた左手に誓願寺というお寺が建っているのですが、その前で新京極通は南西に45度くらいに折れ曲がり、再び南に向かうようになっています。 碁盤の目で有名な京都の通りですが、ここは例外。 いったいなぜ、まっすぐ新京極通を造らなかったのでしょうか。
京都市伏見区の京阪淀駅を西に出るとバスターミナルがあります。 そのバスターミナルから横断歩道を西に渡ってすぐの場所に雨庭が作られているのに気づきました。 最近、京都市内で雨庭が増えていますね。
京都市の東を北から南に流れる鴨川。 京都の川と言えばすぐに思い浮かぶのが鴨川という人は多く、京都に住む人だけでなく旅行者や観光客の方にも長年親しまれています。 歴史を振り返れば幾度も氾濫し大洪水を惹き起こした鴨川ですが、それでも、「鴨川の水で顔を洗うときれいになる」とのことわざがあるように、京都の人々にとってなくてはならない存在だとわかります。