3月3日の桃の節句で飾られる雛人形。
飾る時にどっちだったかなと考えてしまうのが、男雛と女雛の配置です。
男雛が向かって右だったか、それとも左だったか。
正しい方がわからずネットで調べて、男雛が向かって左だとわかるのは、この時期の風物詩ですよね。
でも、京都では、男雛を向かって右に置いていることもよくあります。
男雛を左に置くのは西洋の影響
下の写真に写っているのは、京都式で男雛と女雛を飾った段飾りです。

京都式の雛人形の飾り方
向かって右に男雛、そして、左に女雛が置かれていますよね。
京都では、この並べ方が昔から一般的でした。
というか、全国的にも、向かって右に男雛、左に女雛を置くものでした。
では、いつから向かって左に男雛、右に女雛を置くようになったのでしょうか。
それは、大正から昭和初期にかけてです。
日本実業出版社の『京都の歴史がわかる辞典』によると、権力の視覚化を狙った明治政府が、明治天皇の写真(御真影)を全国に配布し、教育勅語が発布された明治24年(1891年)には全国の学校において勅語謄本や御真影を拝礼することを義務付けたことと関係していることが記されています。
御真影は、天皇陛下が向かって左、皇后陛下が向かって右に写っており、これは、外国の皇室を見習った立ち位置でした。
それが、男雛と女雛の位置関係に違和感を生じさせ、大正から昭和初期にかけて、三越や高島屋など有名デパートが御真影の立ち位置に合わせ、男雛を向かって左、女雛を向かって右に入れ替えます。
すると、東京の業者の間で左右の入れ替えが始まり、あっという間に東京式が全国に広まったのですが、京都では伝統を守り、向かって右に男雛、左に女雛を置き続けたとのこと。

東京式の雛人形の飾り方
向かって左に高御座、右に御帳台
大正天皇の即位に合わせて作られた天皇陛下の玉座である高御座(たかみくら)は向かって左に置かれ、皇后陛下がのぼる御帳台(みちょうだい)は向かって右に置かれました。
下の写真は、以前に京都御所の一般公開で紫宸殿(ししんでん)に展示された高御座と御帳台ですが、向かって左に高御座、右に御帳台が置かれています。

高御座(左)と御帳台(右)
男雛と女雛の配置は、西洋の影響を受けて、左右逆に置かれるようになったというのが、明治以降の世相をよく表していますね。
なんでも西洋にならうのが良しとされた時代でしたから、日本の伝統もこれに合わせるべきだと考えられたのかもしれません。