3年かけて賀茂川の小砂利が敷き詰められた京都御苑

京都市上京区の京都御苑内には、たくさんの砂利が敷き詰められています。

砂利は、足を踏み込んだ感覚がデコボコして歩きにくいのですが、京都御苑内の主要な道路はすべて砂利道となっているので、御苑内を散策するには必ず歩かなければなりません。

でも、道路に砂利が敷き詰められている方が、昔ながらの風情を感じられますから、アスファルトで覆われているよりも良いのかもしれません。

大正大礼を機に賀茂川の小砂利が敷き詰められた

京都御苑の最寄り駅は、地下鉄の丸太町駅または今出川駅です。

どちらの駅からも出てすぐです。

京都御苑がその名で呼ばれるようになったのは、明治に入ってからです。

東京遷都により京都御所が廃れていきましたが、遷都前の禁裏御所、仙洞御所、公家屋敷をなどを含む御所九門内に「大内保存」事業として、新しい公園が造られるようになりました。

それが京都御苑で、命名したのは、当時の京都府知事であった槇村正直です。

この時は、まだ京都御苑内の道路には、小砂利が敷き詰められていませんでした。

京都御苑内に小砂利が敷き詰められる契機となったのは、大正4年(1915年)の大正大礼です。

現在、京都御所の南側にある建礼門から京都御苑の南側にある堺町御門まで、広々とした建礼門院大通りがあります。

建礼門とサルスベリ

建礼門とサルスベリ

この建礼門前大通りの幅が、大正大礼のために幅20間(約36メートル)に拡幅されました。

岩波新書の『京都の歴史を歩く』によれば、大正大礼を契機に御苑内の道路に「玉のような小砂利」が敷き詰められたそうです。

その小砂利は、賀茂川で拾ったもので、3年の歳月をかけ御苑内の道路が小砂利で覆われました。

広大な建礼門前大通りは、今も小砂利が敷き詰められ、大正大礼頃の姿を保っています。

建礼門院前大通り

建礼門院前大通り

建礼門前大通りの両脇には、大正大礼のために梅、モミ、アスナロ、ウバノガシなど2千本以上の木が植えられました。

そして、その南の方には、立派な紅梅も植えられます。

この紅梅は黒木の梅と呼ばれ、九条家邸にあったものを現在地に移植しました。

黒木の梅

黒木の梅

しかし、当時の黒木の梅は枯死しており、現在の木は接木により植継されたものです。

黒木の梅の近くの説明書によれば、原株は、孝明天皇の女御の英照皇太后幼少時、生家で愛でられていたと言われているとのこと。

黒木の梅が見ごろを迎えるのは、毎年3月に入ってからです。

建礼門前大通りを黒木の梅を過ぎてさらに南に歩き、少し東に曲がってから南に向かうと丸太町通に面した堺町御門が現れます。

堺町御門

堺町御門

葵祭や時代祭の行列は、建礼門前大通りから堺町御門を出て京都の街を練り歩きます。

小砂利は、堺町御門の外側にも敷かれています。

京都御苑内の小砂利が、3年かけて敷き詰めたものだと知ると、歩きにくいとは、大きな声では言えないですね。

京都御苑を散策する時は、しっかりと小砂利を踏みしめましょう。

なお、京都御所の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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