10月11日に京都市上京区の護王神社にフジバカマを見に行った後、福長神社に参拝しました。
福長神社を訪れるのは今回が初めてです。
藤袴祭のスタンプラリーポイントになっていたので行ってみることにしました。
狭い境内に小さな社殿
福長神社は、地下鉄の今出川駅から南東に約5分歩くと到着します。
烏丸今出川の交差点から西に歩き、室町通を南に曲がって少し歩くと、住宅に混ざって福長神社の鳥居が立っています。
見るからに小さな神社で、福長神社ののぼりがなければ、気付かず素通りしてしまいそうですね。
入り口付近の祠には、お地蔵さまが祀られていました。
いかにも地元の人たちに親しまれていそうなお地蔵さまであります。
鳥居をくぐると、正面に小さな社殿が建っています。
どうやら、これが本殿のようです。
神社の説明書によると、福長神社は、福井神(さくいのかみ)、綱長神(つながいのかみ)、稲荷神を祭神として祀っているそうです。
社名は、福井神と綱長神を合祀していることが由来ですが、稲荷神も祀られていることから、福長稲荷とも呼ばれていました。
それでは、お参りをしましょう。
そして、本殿前にあったスタンプを集印帳に押印。
境内は、がらんとしており、周囲の住宅との境界を定めるための塀が妙に目立ちます。
福長神社は、かつては、大宮通竹屋町あたりにあった平安京大内裏内の神祇官西院(じんぎかんさいいん)に祀られていた延喜式内社で、祭神は、宮中神(きゅうちゅうのかみ)の座摩巫祭神(いがずりのみかんなぎのまつるかみ)五座のうちのとのこと。
ちなみに残りの三座は、生井神(いくいのかみ)、波比伎神(はひきのかみ)、阿須波神(あすはのかみ)です。
鳥居の近くには手水舎と物置があります。
手水鉢に水が張ってあったので、神社の管理はされているようですね。
社伝によれば、福長神社が現在地に移って来たのは、天正年間(1573-1592年)のことで、豊臣秀吉の聚楽第造営、あるいは廃城の際と伝えられています。
でも、天正2年に織田信長が上杉謙信に贈ったと伝えられる狩野永徳筆の洛中洛外図屏風には、すでに現在地に福長神社が描かれているそうですから、それ以前に遷座したのではないでしょうか。
その後、天明の大火(1788年)で焼失し規模が小さくなっていますが、明治以降も水の神として地元の人々から崇敬されて今日にいたっています。
この日は、藤袴祭のスタンプラリーポイントとなっていることから、本殿の前に2つ、鳥居わきに2つのフジバカマが植わったプランターが置かれていました。
歩道にひっそりと置かれたフジバカマのプランターが少し寂しげに見えますね。
烏丸今出川近くを訪れた際は、福長神社にも立ち寄ってはいかがでしょうか。
この後は、相国寺に参拝します。