昔から東北の方角は鬼門とされています。
平安京の東北にそびえる比叡山に延暦寺が創建されたのは、平安京の鬼門除けのためで、そのふもとにある京都市左京区の赤山禅院(せきざんぜんいん)も平安京の鬼門を守っています。
平安京から近い場所では、現在の京都御所から北東に約3分歩いた場所に鎮座する幸神社(さいのかみのやしろ)も鬼門除けの神さまとして崇敬されてきました。
平安京創建時に造営される
地下鉄の今出川駅から東に約8分歩くと、幸神社の鳥居の前に到着します。
今は、境内が狭いですが、かつては広大だったそうです。
神社の説明書によると、幸神社の祭祀は遠く神代に始まり、天武天皇の白鳳元年に再興され、桓武天皇の平安遷都(794年)の際に鬼門除け守護神として都の東北の地に出雲路道祖神を造営したとのこと。
現在の社名になったのは、江戸時代初期に現在地に祀られたときと考えられています。
塞の神(さいのかみ)とは道祖神の別称で、村や町の境界に立ち、悪神の侵入を防いでくれると伝えられています。
平安京の鬼門に祀られた理由がわかりますね。
平安時代には、平安京の四隅で、四角四界祭(しかくしかいさい)が行われていました。
都の境界に当たる場所で祭祀を行い、都市全体に見えない結界を張って疫神などが入って来るのを防ごうとしたのが、四角四界祭が行われた理由です。
かつての平安京は現在の京都御所よりも西にありましたが、現在の幸神社が建つあたりは、当時の平安京の東北角の外側にあたります。
したがって、幸神社のあたりは、四角四界祭が行われた場所と考えられます。
平安時代、京都では何度も疫病が流行しましたが、幸神社が建つ地は、疫神が都に侵入するのを防ぐ重要な地だったんですね。
幸神社の本殿の東側の壁には御幣を担ぐ猿の神像が祀られていますが、これは、京都御所の猿ヶ辻の猿の神像とともに都に邪鬼が侵入しないよう鬼門の空を雲上にて眺望しているそうです。
縁結びや芸能の神としても崇敬される
幸神社の主祭神は、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)で、他に8柱の神さまが祀られています。
その中に天鈿女命(あめのうずめのみこと)もいらっしゃり、猿田彦大神とともに天と地を導き結ばれたことから、縁結びの神さまとして崇敬されています。
また、天鈿女命は芸能の神さまとしても崇められており、歌舞伎踊りの創始者の出雲阿国は、ここ出雲路あたりで生まれ、一時期、幸神社の稚児、巫女として仕えていたそうです。
観光で京都御所を訪れた際には、幸神社にもお参りしてはいかがでしょうか。
なお、幸神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。