2014年から祇園祭の山鉾巡行が17日の前祭(さきまつり)と24日の後祭の2回行われることになりました。
以前は、17日に山鉾巡行が1度だけ行われていたのですが、49年ぶりに後祭が復活したことで、山鉾巡行も2回行われることになったんですよね。
後祭で巡行する山と鉾は10基。
前祭では、左回りに巡行しますが、後祭では逆の右回りに巡行します。
私は、午前10時40分頃、四条河原町に到着しました。
そろそろ後祭の山鉾巡行の先頭が四条河原町に姿を現す時間です。
橋弁慶山
予定時刻の午前10時50分頃に山鉾巡行の先頭が見えてきました。
沿道には、前祭の時よりも観覧者が多かったです。
49年ぶりの後祭ですからね。
きっと来年以降の後祭は、もっと少なくなるでしょう。
後祭の山鉾巡行の記念すべきトップバッターは、橋弁慶山です。
橋弁慶山は、謡曲「橋弁慶」を題材にした山で、弁慶と牛若丸が五条大橋で戦う姿を表しています。
人形には永禄6年の銘があるそうです。
永禄というと戦国時代ですよ。
山の上には長刀を振るう弁慶と、それをひらりと跳んでかわす牛若丸がいます。
交差点の中央に入ってきた橋弁慶山を大勢の担ぎ手の方が持ち上げて、90度回転。
方向転換した橋弁慶山は、四条通を西に向かって進んでいきました。
北観音山
橋弁慶山に続いて登場したのは、北観音山。
山は、小ぶりなものが多いのですが、北観音山は鉾と同じくらいの大きさがあります。
なお、屋根の上に立っているのは、松の真木です。
ゆっくりと四条河原町の交差点に入ってくる北観音山。
北観音山は上り観音山とも呼ばれており、楊柳観音像と韋駄天(いだてん)立像を祀っています。
交差点の中央では、辻回しの準備が行われます。
そして、準備が完了し、山の前に乗っている音頭取の方の掛け声が終わって、1回目の回転です。
西側から引っ張られた北観音山は、45度ほど向きを変えました。
1回目で、これだけ方向を変えるのは珍しいですね。
これなら2回目の回転で、西を向くことができそうです。
と思ったのですが、2回目の回転を終えた北観音山の向きは、真西ではなく、微妙に南に傾いていました。
でも、この程度の傾きなら3回目の回転で楽々と真西に向けることが出来ます。
見事、辻回しを終えた北観音山は、その後ろにある見送の横から柳の枝を差し出しながら、四条通を西に進んでいきました。
いつも通りの辻回しに思えましたが、よくよく考えてみると、最近49年間は左回転で山や鉾を回していたのに対して、今年の後祭の山鉾巡行では右回転で山や鉾を回さなければならないので、きっと、辻回しの際は、いつも以上に緊張感を持って回転させていたのではないでしょうか。
そう思うと、後祭の復活は、当事者の方たちにとっては、今まで以上に準備が大変だったことでしょう。
この後は、八幡山の登場です。