1月中旬に京都市東山区の豊国神社に参拝した後、北隣の方広寺にも参拝しました。
方広寺も、豊国神社と同じく豊臣秀吉に縁があり、今年は大河ドラマ『豊臣兄弟』の影響で参拝者が増えそうですね。
大きな鐘楼
方広寺には、京阪電車の七条駅から北東に約8分歩くと到着します。
市バス停「博物館三十三間堂前」からだと北に徒歩約4分です。
豊国神社と方広寺は隣接しているので、あらためて別の場所にやってきたという感覚はありません。
むしろ、両者が一体になっていると勘違いする人の方が多そう。
豊国神社から方広寺に入ってすぐの場所には大きな鐘楼。

鐘楼
ここには、「国家安康」と「君臣豊楽」の文字が刻まれた梵鐘が吊るされています。
この銘文に徳川家康がいちゃもんをつけ、大坂の陣で豊臣家が滅ぼされたのは有名な話。
1月9日から3月18日まで特別公開が行われており、鐘楼に入って梵鐘を間近で見ることができますよ。
拝観料は800円。
私は、以前に鐘楼の中に入ったことがあるので、今回は外から眺めるだけにしておきました。
鐘楼の北には、横長の本堂。

本堂
空は晴れているものの、頭上を覆う雲が本堂を寒々しく見せ、きっと堂内の床も冷たいに違いないと思いながらお参り。
本堂の西側では、サザンカが赤色と薄紅色の花を咲かせていましたが、花数がやや少なめ。

サザンカ
この寒さの中で花を咲かせるのも大変でしょうね。
特別公開では、本堂の廬舎那仏像、左甚五郎作の龍の彫刻、大黒堂に祀られている手のひらサイズの大黒天像も拝観できるとのこと。
興味がある方は、3月18日までに方広寺を訪れてください。
秀吉の栄華の跡地
方広寺に参拝した後は、東に隣接する大仏殿跡緑地へ。
ここは、かつて、秀吉が奈良東大寺にならって創建した方広寺の大仏殿があった場所です。

大極殿跡緑地
今では、その名のとおり、すっかり緑地となり、訪れる人もほとんどいません。
大仏殿の完成は文禄4年(1595年)。
中には、高さ18メートルの木製金漆塗の大仏坐像が安置され、これは、東大寺の大仏の高さ15メートルよりも大きなものでした。
しかし、この大仏は翌年の慶長大地震で大破する不運に見舞われます。
秀吉亡き後、子の秀頼が大仏の再建を行い、豊臣家滅亡後も存続しましたが、寛政10年(1798年)に落雷で炎上し失われています。
その後も、大仏の再建は行われましたが、昭和48年(1973年)にまたもや失火で焼失。
どこまでも、豊臣家は火難に悩まされる運命だったとしか思えない結末であります。
大仏殿跡は、平成12年(2000年)に発掘調査が行われ、大仏殿の正確な位置が判明しています。
説明書によれば、南北約90メートル、東西約55メートルと、東大寺大仏殿をしのぐ壮大さだったとのこと。
下京区の東本願寺の御影堂(ごえいどう)が、正面76メートル、側面58メートルで、非常に大きな建物ですが、それとの比較でも、方広寺大仏殿が非常に大きな建物だったことがわかります。
現存していれば、東山の名所として多くの旅行者や観光客が訪れたに違いない。
調査では、大仏の台座の石組み、大仏殿の基壇と南へ張り出す階段のコーナー部分などが出土しています。
調査の後、発見された遺構は地下に埋め戻し大切に保存しています。
現在、出土した物の位置関係がわかるよう、地面には小舗石や板石などが置かれていますよ。

目印の石
不思議な形と変な配置のベンチだなと思っていましたが、ちゃんと意味があったんですね。
大仏殿緑地の西には、先ほどお参りした豊国神社の社殿も見えます。

豊国神社の社殿
上の写真の右側に写っているのが本殿。
普段、本殿の前に進めないので、建物をじっくり見たい方は、大仏殿跡緑地からその後部だけでも見ておくと良いでしょう。
そろそろ大仏殿跡緑地から出ることに。
入り口付近では、秋が戻ってきたのかと勘違いしそうなくらい、ナンテンが鮮やかに紅葉していましたよ。

ナンテン
なお、方広寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。