初秋の熊野神社に参拝・2020年

9月中旬に京都市左京区の聞名寺に参拝した後、東大路通を北に8分ほど歩いた場所に建つ熊野神社を訪れました。

熊野神社は、熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)新熊野神社(いまくまのじんじゃ)とともに京都の熊野三山のひとつに数えられます。

熊野神社には2月3日の節分の日に参拝することが多いですが、9月に訪れることはなかったように思います。

八咫烏が目立つ本殿前

熊野神社には、京阪電車の神宮丸太町駅から丸太町通を東に5分ほど歩くと到着します。

丸太町通に面して石造りの鳥居が立っています。

鳥居

鳥居

狭い歩道からだと、鳥居を写真に収めるが難しいですね。

道路の向かい側から撮影すれば良いのですが。

鳥居をくぐると正面に本殿が建っています

本殿

本殿

熊野神社は、かつては広大な神域を持っていましたが、大正元年(1912年)の市電丸太町線の開通や昭和元年(1926年)の東大路通の拡幅などにより、現在の規模となりました。

東大路通と丸太町通の交差点に駐車場付きのコンビニ1個分ほどの広さですね。

それでは本殿にお参りをしましょう。

祭神として祀られているのは、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、天照大神、速玉男尊(はやたまおのみこと)。事解男尊(ことさかのをのみこと)です。

縁結び安産健康長寿のご利益を授けてくれますよ。

本殿の前には、八咫烏(やたがらす)の絵馬が置かれていました。

八咫烏の絵馬

八咫烏の絵馬

その隣には、八咫烏の御朱印帳。

八咫烏の御朱印帳

八咫烏の御朱印帳

八咫烏は、熊野神社の神使で、熊野と名が付く神社ではよく見かけますね。

こちらは、サッカー御守の案内です。

サッカー御守の案内

サッカー御守の案内

八咫烏は、日本サッカー協会のシンボルマークでもあるので、八咫烏と縁がある神社では、サッカーのお守りも見かけます。

境内の景色

熊野神社は、弘仁2年(811年)に修験道の日圓上人が国家守護のために紀州の熊野大神を勧請(かんじょう)したのが始まりと言われているので、1200年以上の歴史があります。

寛治4年(1090年)に聖護院(しょうごいん)が創立されると、熊雄神社はその守護神となり、別当職が置かれ管理されました。

境内の西側に祀られている金刀比羅大神と稲荷大神。

金刀比羅大神と稲荷大神

金刀比羅大神と稲荷大神

隣には、春日大社、須賀大神、神倉神も祀られています。

春日大神、須賀大神、神倉神

春日大神、須賀大神、神倉神

平安時代末期になると、後白河法皇がたびたび熊野詣を行うようになり、当社も厚く崇敬し、紀州の土砂や樹木を用いて社頭を整備します。

室町時代には、足利義満からも広大な社地を寄進され、境内が大規模化しました。

その後、応仁の乱(1467年)で荒廃しましたが、寛文6年(1666年)に聖護院宮道寛法親王(しょうごいんのみやどうかんほっしんのう)によって再興され、天保6年(1835年)に大修造が行われ、下鴨神社から現在の本殿が移築されています。

私が、境内にいる間、数人、参拝者が訪れ、お参りをしていきました。

1人お参りして帰ったと思うと、また1人やってきてお参りをするといった感じです。

近所の人々に愛されている神社だということがよくわかります。

本殿の西側には、3千8百円を寄進したことを記す石柱が立っていました。

金三千八百圓

金三千八百圓

熊野神社は、天皇、将軍、そして庶民まで幅広く信仰を集めてきた歴史があり、現在も庶民の信仰が途絶えていません。

毎年2月3日の節分祭では、八ッ橋の無料接待が行われる熊野神社境内には、八ッ橋の発展に貢献した西尾為治(にしおためじ)の像とこの辺りが八ッ橋の発祥の地であることを示す石碑が置かれています。

西尾為治と八ッ橋発祥之地の石碑

西尾為治と八ッ橋発祥之地の石碑

その前には祖霊殿が立ち、節分の日には、仮設の店舗が設けられ、多くの参拝者に八ッ橋とお茶がふるまわれます。

祖霊殿

祖霊殿

そろそろ熊野神社から出ましょう。

今は小さな神社になりましたが、境内は木々に包まれ、この付近が聖護院の森と呼ばれていた頃の雰囲気が少しだけ残っているようです。

なお、熊野神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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