9月初旬に出雲路橋のサルスベリを見た後、西に5分ほど歩いて上善寺を訪れました。
上善寺に参拝するのは、久しぶりで、最後に参拝したのがいつかも思い出せないほどです。
せっかく近くに来たことですし、上善寺にも久々にお参りをしていこうと思い、立ち寄ることにしました。
清々しさを感じる境内
上善寺には、地下鉄の鞍馬口駅から鞍馬口通を東に5分ほど歩くと到着します。
寺町通と鞍馬口通がぶつかるところですね。
山門の前には、入江九一他7名の首塚が当寺にあることを示す石碑が立っています。
入江九一は幕末の長州藩士で、元治元年(1864年)の蛤御門(はまぐりごもん)の変で戦死しています。
山門をくぐり境内に入ります。
この日は、爽やかな秋空が広がり、上善寺境内に多く植えられている松の緑にも清々しさを感じます。
石畳の参道を北に進み本堂の前にやってきました。
それでは、お参りをしましょう。
上善寺は、千松山遍松院(せんじょうざんへんしょういん)と号するお寺で、貞観5年(863年)に円仁が天台密教の道場として千本今出川に創建したのが始まりと伝えられています。
山号が千松山だから、境内に多くの松が植えられているのでしょうか。
後に文明年間(1469-1487年)に後土御門、後柏原の両天皇の戒師を務めた春谷盛信(しゅんこくせいしん)によって再興され、後柏原天皇の勅願時として栄えます。
そして、文禄3年(1594年)に現在地に移転し、浄土宗に改宗しました。
境内の東に建つ地蔵堂がピカピカです。
いつ改修したのでしょうか。
この地蔵堂には、平安時代に小野篁(おののたかむら)が一木から刻んだ6体の地蔵の1つと伝えられている地蔵尊が安置されています。
小野篁は、一度息絶え、冥途へ行き、生見の地蔵尊を拝して蘇り、6体の地蔵尊を刻んだと言われていますね。
6体の地蔵は、京都の各寺に祀られ、毎年8月22日と23日は六地蔵巡りが行われ賑わいます。
上善寺に祀られている地蔵尊は、かつて小幡の里に祀られていましたが、保元年間(1156-1159年)に洛北の深泥池(みぞろがいけ)のほとりに祀られ、その後に当寺に移ってきました。
そのため、このお地蔵さまは、深泥池地蔵と呼ばれています。
他に鞍馬口地蔵や姉子の地蔵などの愛称でも親しまれています。
地蔵堂の南側に建つのは観音堂。
観音堂の向こうに賀茂川が流れており、さらに奥に比叡山がそびえています。
そのためか、上善寺の東には背の高い建物が見られず、境内が山の上にあるような錯覚を覚えます。
観音堂の正面には、石仏群。
その石仏群の近くには、井戸があります。
本堂わきは、ちょっとした庭園のような造りになっていますよ。
それにしても、松の間から見える秋空が爽やかです。
暑かった8月は終わったばかりですが、この景色を見ていると、夏が随分と前のことのように思えてきます。
上善寺を出た後は、近くの天寧寺に参拝しました。
なお、上善寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。