初秋に参拝した上御霊神社・2020年

9月初旬に天寧寺に参拝した後、西に5分ほど歩き上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)を訪れました。

上御霊神社は、応仁の乱(1467年)の勃発地としても知られ、歴史的に有名な地です。

境内には、応仁の乱の勃発地であることを示す石碑もあり、歴史好きの方だと、一度は参拝したくなることでしょう。

夏の終わりを感じる境内

上御霊神社の最寄り駅は、地下鉄の鞍馬口駅です。

駅からは、東に少し歩けば上御霊神社の楼門が現れます。

今回は、境内の南側に建つ四脚門から入ることに。

工事中の四脚門

工事中の四脚門

四脚門は工事中です。

工事が終われば、きれいな姿を見られることでしょう。

境内に入ると正面に拝殿が建っています。

境内

境内

そして、拝殿の東側に本殿が建っているので、お参りをしましょう。

本殿

本殿

上御霊神社が建つ地は、かつて上出雲寺(かみいずもでら)が建っていましたが、桓武天皇の平安遷都(794年)に際し、王城鎮護の神として、非業の死を遂げた8柱の神さまを祀りました。

これが、上御霊神社の始まりです。

正式には御霊神社といいますが、中京区の下御霊神社と区別するために上御霊神社と呼ばれています。

平安時代には、怨霊が天変地異の原因だと信じられていました。

そして、怨霊を神さまとして祀り御霊にすれば、災厄を免れるという御霊信仰が盛んとなりました。

明治時代には、明治天皇の御願により5社が増祀され、現在は13柱の神霊が祀られています。

新型コロナウイルスが流行している時なので、13柱の神霊に疫病の終息をお願いしておきましょう。

9月に入り、京都は秋らしくなってきましたが、上御霊神社の境内には、まだ夏の名残があります。

拝殿近くのサルスベリは、赤色の花を咲かせていました。

終わりかけのサルスベリ

終わりかけのサルスベリ

花数は少なくなっており、そろそろ終わりが近いようです。

絵馬堂の近くには、アジサイもありましたよ。

アジサイ

アジサイ

でも、よく見ると、このアジサイは作り物のようです。

境内の南東には、福壽稲荷神社が建っています。

伏見稲荷大社の千本鳥居のように何本も鳥居が並んでいます。

福壽稲荷神社

福壽稲荷神社

さすがに千本も建っていませんが、10本以上はありましたよ。

商売繁盛を祈願しておきましょう。

福壽稲荷神社の近くには、白色のユリの花も咲いていました。

ユリ

ユリ

純白の花に清らかさを感じます。

境内の西に建つ楼門前から境内を眺めます。

楼門から見る境内

楼門から見る境内

空は、夏から秋に変わりつつあります。

楼門をくぐって外に出ます。

楼門

楼門

楼門の左右には、随身像が座っていますよ。

随身像

随身像

楼門に貼られている説明書によると、上御霊神社の楼門は、氏子中の寄進により寛政年間(1789-1801年)に再建されたそうです。

随身像は、楼門の再建後に置かれるようになったようで、俗に矢大神、左大神とも呼ばれています。

随身(ずいじん)さんとの愛称でも親しまれている現在の随身像は、大正14年(1925年)に氏子中により奉納されたものなのだとか。

随身は、内裏(御所)の中枢を守る近衛府の武官のことで、帝の周辺や大内裏の警護にあたっていました。

また、随身は、古来より神さまとして崇められており、もともとは内裏の四面の門に祀られていた櫛石窓(くしいわまど)、豊石窓(とよいわまど)という2神で、宮中では、災いの侵入を防ぐため年に2回、6月と12月にこの神をまつり御門祭(みかどのまつり)が行われていたそうです。

随身像は、他の神社でも見かけることがあり、東山区の八坂神社の西楼門にも祀られていますね。

上御霊神社の境内には、工事をしている方はいらっしゃいましたが、参拝者の姿はほとんどありませんでした。

もう少し涼しくなってくると、上御霊神社を訪れる人も増えてきそうです。

この後は、妙顕寺に参拝します。

なお、上御霊神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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