慶長5年(1600年)は、関ヶ原の戦いが起こった年として有名ですね。
その関ヶ原の戦いが起こる前に京都の伏見城で、東軍と西軍の戦いが起こっています。
この年の6月18日に徳川家康は、上杉討伐のために東に出陣するわけですが、伏見城で家臣の鳥居元忠に別れを告げます。
鳥居元忠は、家康の留守中に西軍が伏見城を攻めてくることをわかった上で、城を枕に討ち死にする覚悟。
そして、7月19日に宇喜多秀家や吉川広家らが率いる西軍4万が伏見城にたてこもる2千名弱の鳥居勢に襲いかかります。
激しい攻防の末、8月1日に伏見城は落城、鳥居元忠と残兵380名余りは、自害して果てました。
伏見城の床は、自刃した鳥居勢の血がべっとりと付き、やがて黒く変色していきました。
この時の鳥居元忠とその兵士たちの霊を弔うために伏見城の床をお寺の天井として祀り上げたのが血天井です。
血天井は、京都の各地のお寺にあります。
養源院
まずは、京都市東山区の養源院。
このお寺は、浅井長政の菩提を弔うためにその娘の淀殿が建てたお寺です。
天井は、もちろん血天井です。
源光庵
紅葉がきれいな北区の鷹峯に建つ源光庵にも血天井があります。
秋になると多くの観光客の方で賑わうお寺ですが、彼らが歩いている堂内の天井にも、黒ずんだ血のりが付いています。
果たして、この血天井に気づいているのでしょうか。
正伝寺
北区は、正伝寺にも血天井があります。
本堂の前に広がる枯山水庭園がきれいなお寺です。
縁側に座って眺めていると、心が落ち着きますね。
血天井があるのは、縁側の上です。
これを知った後だと、庭を眺めていても何だかそわそわとしてしまいますね。
天球院
右京区の妙心寺の塔頭(たっちゅう)の天球院は、方丈の天井が血天井になっています。
江戸時代初期の姫路城主・池田輝政の妹の天久院によって創建された寺院で、方丈内には、狩野山楽と山雪が手掛けた障壁画があり、豪華絢爛です。
でも、西側の廊下の天井には血がべったりと付着していて、戦いの凄まじさを感じられます。
宝泉寺
左京区の大原には、宝泉寺に血天井があります。
ここは額縁庭園と呼ばれている庭がとてもきれいで、秋の観光シーズンになると、たくさんの拝観者でにぎわいます。
額縁庭園のことばかりが頭にあると、つい血天井を見逃してしまいます。
庭園もきれいですが、血天井も見ておきたいですね。
栄春寺
伏見区の栄春寺にも血天井があります。
上で紹介したお寺は、どこも血天井を見ることができますが、栄春寺では血天井を見ることができません。
血天井があるのは、観音堂です。
とりあえず、訪れた時は、観音堂にもお参りしておきましょう。
興聖寺
血天井があるのは京都市内だけではありません。
宇治市の興聖寺(こうしょうじ)にも血天井はあります。
ここは、琴坂と呼ばれる参道の紅葉が有名ですね。
建物内の拝観もできますよ。
神應寺
八幡市の神應寺(じんのうじ)にも血天井があります。
このお寺は、いつ行っても人が少ないですね。
建物内には入ったことがありません。
血天井も公開されることがあるのかどうかわかりません。
神應寺は、知る人ぞ知る紅葉の名所なので、秋になると、ちらほらと紅葉狩りに訪れる人を見かけます。
ここから眺める男山も見事ですよ。
上記の他にも探してみれば、血天井があるお寺を見つけることができるかもしれません。
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