平安時代から栄えていた二条寺町

京都市内には、繁華街がいくつかありますが、その中で、有名なところと言えば、寺町や新京極のアーケード街ではないでしょうか。

この辺りは、修学旅行生でいつも賑わっていますね。

アーケード街となっているのは、三条寺町付近で、そこから北に少し歩くと二条寺町があります。

二条寺町には屋根はありませんが、昔ながらのお店がいくつも並んでいます。

お店を眺めながら、寺町通を歩いていると、その一角に井原西鶴の句が刻まれた石碑が置かれているのを発見しました。

井原西鶴の句

下の写真に写っているのが、井原西鶴の句が刻まれた石です。

「通ひ路は 二條寺町 夕詠(ゆうながめ)」と刻まれています。

通ひ路は 二條寺町 夕詠

通ひ路は 二條寺町 夕詠

石碑の近くに解説が書かれていたので紹介しておきます。

上の句は、西鶴俳諧大句数の巻八に収められており、前句には「思ひと苦とをつくる絵双紙」とあり、後の句には「川原の床は小歌三味線」と記されているそうです。

井原西鶴は江戸時代の文化人です。

上の句の内容は、その当時、二条寺町に絵双紙屋があり、風情のある二条寺町の夕景色に見とれつつ小歌や三味線がさんざめく四条河原の涼み床へと粋人たちが駆けていったというものだそうです。

四条河原の涼み床というのは、今でいう鴨川納涼床のことなのでしょう。

そう考えると季節は夏で、日が暮れかかっている時間帯の景色が風情があったということなのでしょうね。

確かに鴨川付近から眺める夕景色は情緒があります。特にオレンジ色から少し青くなり始めた空がきれいだなと思ったことが何度もありますね。

さらに解説を読んでいくと、二条寺町は、平安遷都から都の繁栄とともに栄えてきたということが書かれていました。

平安時代から現在にいたるまで、二条寺町はずっと繁華街だったことがうかがえますね。

二条寺町は、さらに明治28年(1895年)の市電開通で賑わいをみせたそうです。

最近では、少しずつ商店街が消失していってますが、寺町は、まだ元気なようです。

とは言え、私は、あまり二条寺町のお店に入ったことがないですね。

近くのラーメン屋さんには何度か言ったことがあるのですが、それ以外のお店は、外から覗く程度です。

三条から四条の間のアーケード街には、何度も行ったことはあるんですけどね。

また機会があれば二条寺町のお店にも入ってみます。

昭和な感じの気になるお店が結構あるんですよね。

やっぱり訪れるなら夕方が良いのかな。