大福帳の由来となった大福寺

江戸時代から明治時代にかけて、商家が使っていた帳簿に大福帳があります。

大福帳は、得意先ごとに取引内容を記録したものです。

当時は代金の受取は商品の引き渡しより後だったため、得意先ごとにどれだけの売掛金があるのかを記録しておくことは大切なことでした。

そんな商家にとって重要な大福帳は、京都市中京区に建つ大福寺が由来とされています。

正月に商売繁盛祈願

大福寺は、地下鉄京都市役所前駅から北西に5分ほど歩いた麩屋町二条上るにあります。

下の写真に写っているのが大福寺です。

大福寺

大福寺

私が訪れた時は、戸が閉まっていたので中に入ることができませんでした。

大福寺は、天台宗のお寺で、正式には瑠璃光山利生院大福寺(るりこうざんりしょういんだいふくじ)と言います。

お寺の説明書によると、創建は推古天皇の時代(593-628年)で、当初は大和国宮田郷にありました。

平安時代に勅使により京都に移され、七堂伽藍を有したというのですから、規模の大きなお寺だったんですね。

本尊の菩提薬師如来は聖徳太子の作とされており、京都十二薬師のひとつに数えられています。

当寺は、「大福」という縁起の良い寺号により、正月には商売繁盛を祈願して商家の出納帳に寺の宝印を授与する習わしがあり、これが大福帳の名の由来となったそうです。

お寺の中には、安産腹帯地蔵尊と京都七福神の布袋尊も祀られており、現在も広く信仰を集めているのだとか。

また、大福寺は、「ほてい薬師」の愛称でも親しまれています。

梅田雲浜の仮住まい

大福寺は、歴史的には、幕末の勤王の志士である梅田雲浜が境内に仮住まいして妻を迎えたことでも知られています。

梅田雲浜は、若狭出身で、幕末の早い時期から朝廷を敬い外国人を排斥する尊王攘夷(そんのうじょうい)活動に奔走していました。

しかし、その活動を危険視した江戸幕府は、大老井伊直弼が行った安政の大獄で梅田雲浜を捕え処刑します。

梅田雲浜は、京都を尊王攘夷活動の拠点としていたことから、現在も、彼の史跡が京都市内にいくつか残っていますよ。

大福帳の語源となった大福寺。

商売をされている方は、一度は大福寺に祈願しておくと商売繁盛につながるかもしれませんね。

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