時代祭の中盤から後半に差し掛かる頃に登場するのは、吉野時代の行列です。
吉野時代は聞きなれない時代ですが、14世紀の南北朝時代にあたります。
楠公上洛列
吉野時代の最初に登場するのが、楠公上洛列(なんこうじょうらくれつ)です。
楠公とは、南朝の忠臣楠木正成のことです。
元弘3年(1333年)に隠岐に島流しとなっていた後醍醐天皇が京都に戻る際、楠木正成が一族郎党を率いて天皇を先導します。
その時の様子を再現したのが、楠公上洛列です。
もちろん主役は楠木正成です。
凛々しい姿で楠木正成が登場。
幕末から戦前まで、楠木正成は、国民から絶大な支持を得た歴史上の人物でした。
皇室を南北に分断した足利尊氏に対して、楠木正成は最後まで後醍醐天皇に忠義を尽くし戦ったことが、後の世、特に幕末において、勤王の志士たちに敬われる存在となります。
時代祭の行列で、これだけ凛々しい姿で楠木正成が登場するのは、明治時代という天皇を絶対的存在と崇めていた時代と関係があるのでしょうね。
楠木正成の後に登場するのは、彼の弟の正季(まさすえ)です。
楠木正季は、湊川の戦いで足利軍と戦いましたが、力及ばず、兄正成とともに自害して果てました。
楠木兄弟の後ろに続くのは侍大将です。
前の2人と比較すると、やや地味ですね。
中世婦人列
楠公上洛列の次は、中世婦人列が続きます。
中世という広いくくりになっているので、登場する女性たちの時代はバラバラですが、あまり細かいことには捉われずに観覧しましょう。
中世婦人列の最初に登場するのは、大原女(おはらめ)の行列です。
大原女は、現在の左京区の大原に住んでいた婦人たちのことで、頭に薪や炭などをのせて都に売りに出る風習がありました。
壇ノ浦の戦い(1185年)で平家が滅亡した後、平清盛の娘の建礼門院徳子は大原に隠棲します。
その時、彼女に仕えていた阿波内侍(あわのないし)が着ていた衣装が大原女の原型と伝えられています。
大原女の次は、桂女(かつらめ)です。
現在の西京区の桂に住んでいた女性には、髪を包む風習があり、それを再現したのが上の写真に写っている行列です。
顔を白く塗っているためか、写真が明るくなってしまいました。
桂女が過ぎた後、一人の女性が歩いてきました。
この女性は、豊臣秀吉の側室の淀君です。
淀君というと、気の強そうな女性をイメージしますが、今回の時代祭では、小柄な女性が演じていましたよ。
十六夜日記の著者の藤原為家の室は、笠をかぶり顔を隠していました。
中世婦人列の最後は、静御前が締めくくります。
静御前は、源義経の妻で、白拍子と呼ばれる踊り子でした。
源義経が兄の頼朝に追われている時、頼朝とその妻の北条政子の前で義経を慕う歌を歌い踊ったことは有名な話ですね。
吉野時代の見どころは、やはり楠公上洛列ですが、中世婦人列の華やかさも目が離せませんね。
特に大原女と桂女が登場するあたりが一番賑やかなので、ここはしっかりと見ておきたいところです。