京都市下京区の四条烏丸は、京都のビジネス街として有名な地域です。
そのため四条烏丸は、銀行、ホテル、デパート、カフェ、居酒屋など近代的な建物が密集しています。
なので、観光で四条烏丸に訪れる方は多くはありません。
しかし、四条烏丸は、少し路地に入ると意外に多くの神社やお寺が建っています。
そこで、今回は、四条烏丸にある7つの寺社について紹介したいと思います。
寺社は西側に3つ、東側に4つ
四条烏丸には、大きな寺社や小さな寺社が建っていますが、その中で烏丸通を挟んで西側の菅大臣神社、五條天神宮、新玉津島神社(にいたまつしまじんじゃ)の3つと東側の平等寺、佛光寺、大行寺、神明神社の4つを順にみていきたいと思います。
まずは、下の地図を見て大体の位置を把握してください。
上の地図では、西側の寺社が表示されていませんが、拡大すると菅大臣神社と五條天神宮の位置がわかるようになっています。
菅大臣神社
最初に訪れるのは、地下鉄四条駅から南西の仏光寺通と新町通が交差する付近に建つ菅大臣神社です。
菅大臣神社が建っている辺りは、平安時代に菅原道真の邸宅があった場所とされています。
道真は、藤原時平の陰謀によって大宰府に島流しとなってしまったのですが、その際、自宅に植えていた梅の木が彼を慕って配所まで飛んでいったという伝説が残っています。
祭神は、もちろん学問の神様の菅原道真です。
五條天神宮
菅大臣神社から南に5分ほど歩いたところに大きなマンションに囲まれた五條天神宮が建っています。
創建は古く開基は弘法大師空海と伝えられています。
現在の建物は、元治元年(1864年)の蛤御門の変で焼失した後に再建されたものです。
五條天神宮の北側の通りは、松原通なのですが、そこを東に歩いて行くと旧五条大橋の松原橋が架かっています。
松原橋は牛若丸と弁慶が出会った場所とされていますが、義経記(ぎけいき)では五條天神宮が二人の出会いの場所として描かれています。
新玉津島神社
五條天神宮から松原通を東に行くと烏丸通の少し手前に新玉津島神社が建っています。
平安時代末期、歌人の藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)が和歌山県の玉津島神社から歌道の神の衣通郎姫(そとおしのいらつめ)を自宅に勧請したのが始まりです。
木曽義仲が平家追討のために上洛した際、都落ちした平家一門の平忠度(たいらのただのり)が、この邸宅に引き返して、俊成に自分が詠んだ歌の中から一首でも千載和歌集に載せてほしいと頼んだと伝えられています。
そして、俊成は以下の一首を選んで、千載和歌集に載せています。
さざなみや 志賀の都は あれにしを むかしながらの 山ざくらかな
平等寺
新玉津島神社に訪れた後は、烏丸通を横切って東側の4つの寺社に向かいます。
四条烏丸の東側の寺社で最初に訪れるのは平等寺です。
平等寺は、因幡薬師とも呼ばれています。
橘行平が因幡国の海中から引き揚げた薬師如来像が、京都の行平の邸宅に飛んできたという伝説が残っています。
佛光寺
平等寺から北東に5分ほど歩くと佛光寺が建っています。
佛光寺を見て驚くのがその境内の広さです。
ビジネス街に似つかわしくないほどの広さで、四条烏丸の騒がしさがここにはありません。
仕事の休憩中なのかビジネスマンやOLの方もたくさん訪れていました。
また、春に花まつりが催され、その頃に境内の枝垂れ桜が見頃を迎えます。
花まつりの内容は、「voice of KYOTO」さんの佛光寺で開催中の花まつりに行ってきましたの記事で紹介されています。ライトアップされた枝垂れ桜の写真も掲載されていますのでご覧になってください。(2017年9月13日追記:左記ページは閉鎖されています)
大行寺
佛光寺の北側すぐの場所に建っているのが大行寺です。
大行寺は、小さなお寺ですが、境内には卍の文字が指の1本1本に入った珍しい仏足跡があるそうです。
中に入ってもいいのかどうかわからなかったため、私は入りませんでした。
神明神社
四条烏丸の7つ目の寺社は、佛光寺から北に5分ほど歩いた場所に建つ神明神社です。
非常に狭い神社ですが、ここには、源頼政が鵺(ぬえ)退治に使った2本の矢じりが宝物として伝わっています。
以上、簡単に四条烏丸の7つの寺社を紹介してきました。
平安時代、特に源平合戦に登場する人物と関係のある寺社が多いのが特徴ですね。
仕事で四条烏丸に訪れる予定のある方は、仕事の合間にでも息抜きに訪れてみてはいかがですか。