中京区一覧

いけ花発祥の地・六角堂

京都市中京区の烏丸通沿いは、多くのビルが建ち並ぶビジネス街となっています。 それらビルに囲まれた烏丸六角に六角堂の通称で親しまれている頂法寺があります。 六角堂は、聖徳太子を開基として創建されたというのですから、その歴史はとても古いです。 そして、その頃から、いけ花があったというのですから、こちらも長い歴史を持っています。 実は、六角堂といけ花の成立には関係があり、六角堂が建つ地は、いけ花発祥の地でもあるのです。

京都御所を拝観した後に訪れたい神社とお寺

京都市上京区にある京都御所は、月曜日と特定の日を除き、通年で公開されています。 誰でも、京都御所に行けば無料で拝観できるのがありがたいですね。 京都御所は、敷地が広いので見ごたえがありますが、京都御所だけを拝観して帰るのはもったいないです。 周辺には、興味深い神社やお寺があるので、京都御所の拝観後に立ち寄っておきたいです。 ということで、今回は、京都御所の拝観後に訪れたい周辺の神社とお寺を紹介します。

六角堂のへそ石は水位計の礎石だった?

古くから京都の中心と言われているのが、中京区の六角堂境内にあるへそ石です。 このへそ石は、かつては、六角堂の南側を通る六角通の真ん中にあったのですが、明治10年(1877年)に六角堂境内に移されているので、京都の中心よりやや北にずれています。 桓武天皇が都を平安京に遷した際、道路整備中に六角堂が道路の中央にあたったため、天皇が少しずれてくれるよう祈願したところ、自ら北に移動し、その時に礎石をもとの位置に残していったと伝えられています。 それが、六角堂のへそ石だと。 この説以外にも、へそ石は、水位計の台を支えていた礎石だとする説もあります。

御霊信仰を今に伝える京都の神社

平安時代に疫病の流行や自然災害が起こると、高貴な人の怨霊の仕業だと考えられていました。 当時の人々は、疫病や自然災害から身を守るためには、恨みを持って非業の死を遂げた人々の怨霊を鎮めれば良いと考え、祭をしたり、神社に祀ったりしました。 これを御霊信仰(ごりょうしんこう)といいます。 京都で夏に行われる祇園祭は、貞観5年(863年)に神泉苑で行われた御霊会(ごりょうえ)が起源ですし、今も京都には非業の死を遂げた人々を祀っている神社が残っています。 今回は、御霊信仰を今も伝えている京都の神社を紹介します。

織田信長と関係がある京都の史跡

永禄11年(1568年)9月に上洛し、当時の政治に深く関わった織田信長。 今でも、京都には、織田信長に関係する史跡が残っています。 そこで、今回は、京都にある織田信長に関係する史跡をいくつか紹介します。

京都御所や寺町など鴨川から近い観光名所の散策に便利なホテル

京都市上京区や中京区は、ビジネス街や繁華街が多く、仕事や買い物をする人で賑わっており、観光で訪れる場所ではないように思われがちです。 でも、東の鴨川に近い辺りは、京都御所などの京都らしさを感じられる観光名所が割と多くあります。 また、鴨川に近い場所にはホテルもいくつかあるので、宿泊中は館内から大文字山などの東山の景色を眺められ、京都の風情を楽しむことができます。

誠心院でひっそりと咲く梅・2022年

3月上旬に京都市中京区の錦天満宮に梅を見に行った後、新京極通を北に約3分歩き誠心院に参拝しました。 誠心院は、歌人の和泉式部ゆかりのお寺です。 お店が並ぶ一角に建つ誠心院は、入り口が狭く気づきにくいためか、あまり参拝している人の姿を見ることがありません。

錦天満宮で咲く梅・2022年

3月上旬。 京都市中京区の錦天満宮に参拝しました。 錦天満宮は、繁華街の新京極通沿いにあり、いつも境内が賑わっています。 学問の神さまの菅原道真を祀っており、この時期には梅の花を見ることができます。

四之船入は高瀬川にできた最初の船入

京都市中京区の木屋町二条から鴨川と並行するように南に向かって高瀬川が流れています。 高瀬川は江戸時代の始めに角倉了以(すみのくらりょうい)が開削した運河で、伏見まで続いており、当時の京都の物流を支える重要な役割を果たしていました。 近世の京都の物流を支えた高瀬川 その高瀬川には、荷物の積み下ろしをする船入と呼ばれる船溜まりがあり、二条から四条の間に9ヶ所作られました。

冬の下御霊神社で見るナンテン・2022年

1月下旬に相国寺に参拝した後、南に約10分歩いて京都市中京区の下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)にも参拝しました。 下御霊神社では、2月になると白梅が咲くのですが、まだ時期的には少し早めです。 でも、昨年は元日には咲いていたことから、今年も早くに開花しているかもしれないと思い下御霊神社に立ち寄った次第です。