大徳寺と戦国武将
京都市北区の大徳寺には、たくさんの小さなお寺が建っています。 別院と塔頭(たっちゅう)を合わせると20以上になり、それらのいくつかは、戦国武将と関係があります。 そこで、今回の記事では、戦国武将と関係がある大徳寺の塔頭を紹介したいと思います。
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京都市北区の大徳寺には、たくさんの小さなお寺が建っています。 別院と塔頭(たっちゅう)を合わせると20以上になり、それらのいくつかは、戦国武将と関係があります。 そこで、今回の記事では、戦国武将と関係がある大徳寺の塔頭を紹介したいと思います。
京都の冬の風物詩と聞いて思い浮かべるのは何でしょうか。 おそらく、人それぞれ違うものを思い浮かべるでしょう。 中には、上賀茂神社のすぐきの天秤押しを思い浮かべるという方もいらっしゃるのではないでしょうか。
京都市北区の紅葉の名所鷹峯には、拝観料が必要なお寺が3つあります。 さすがに拝観料が必要というだけあって、紅葉も見事なものです。 多くの観光客の方が、拝観料が必要なお寺だけを観て帰ってしまうのですが、それだと非常にもったいないです。 なぜなら、無料で訪れることができるお寺でも、紅葉を楽しむことができるからです。 そこで、今回の記事では、無料で楽しめる鷹峯の紅葉の名所をいくつか紹介したいと思います。
京都市北区の鷹峯には、吉野太夫ゆかりの常照寺があります。 常照寺は、秋になると境内が、紅葉で赤色に彩られることで有名です。 今回の記事では、常照寺の紅葉を紹介します。
紅葉の名所鷹峯(たかがみね)には、いくつかのお寺が建っています。 どのお寺も秋の紅葉シーズンになると観光客の方で賑わいます。 江戸時代に本阿弥光悦が、徳川家康に鷹峯の地を寄進され、後にお寺となった光悦寺も紅葉が美しい名所のひとつです。
京都市北区の鷹峯(たかがみね)は、紅葉の名所として知られた地域です。 どのお寺も秋になると、境内が赤色やオレンジ色で埋め尽くされます。 今回の記事では、鷹峯にある源光庵の紅葉を紹介します。
1338年から1573年まで続いた室町幕府。 14世紀後半の南北朝の争乱や1467年の応仁の乱から始まった戦国時代など、室町幕府は政治的には不安定な政権だったと言えます。 しかし、室町時代は、文化的には北山文化や東山文化などが花開いた時代でもありました。 特に歴代の足利将軍が建立した寺院は文化的に優れたものが多く、天龍寺、金閣寺、銀閣寺に関しては世界文化遺産に登録されるなど、高い評価を受けています。 そこで、今回の記事では、上記3つの寺院と創建した足利将軍について紹介したいと思います。
京都市北区には、世界遺産に登録されている上賀茂神社が建っています。 上賀茂神社の境内には、縁結び、子授けのご利益があると信仰されている片岡社という摂社があります。 上賀茂神社に限らず大きな神社には、よく境内に摂社や末社などが建っていますが、境内の外にも摂社が存在していることがあります。 こういった摂社を境外摂社と言います。 上賀茂神社にも大徳寺と上賀茂神社の間に久我神社と貴船神社という2つの境外摂社が存在しています。 そこで、今回の記事では、この2つの境外摂社を紹介したいと思います。
京都市上京区には、学問の神様の菅原道真を祀っている北野天満宮があります。 北野天満宮は、受験シーズンになると多くの学生の方やその父兄の方がお参りに訪れます。 合格祈願が済んだら、多くの方がそのまま帰ってしまいますが、時間に余裕がある場合には、北野天満宮の南にある4つの寺社に訪れるのもいいですね。 4つの寺社に訪れた後は、円町駅でJRに乗って京都駅まで行けるので、帰宅のついでだと思えば、それほど手間ではありません。
前回の記事では、室町幕府の史跡が質素だということを紹介しました。 その理由は、長い間、足利尊氏が後醍醐天皇に刃向かった逆賊という評価を受けていたことによるのではないかと言われています。 足利尊氏は14世紀の人物であるのに、彼への偏見は戦時中まで続きました。 特に幕末には、天皇を敬う尊王思想が流行したことから、尊氏に対して強い批判がありました。 そして、その偏見は、足利将軍木造梟首(きょうしゅ)事件へと発展したのです。