本満寺と阿弥陀寺の桜・2014年3月24日の状況
3月24日に京都市上京区の本満寺と阿弥陀寺の桜の様子を見に行きました。 どちらも寺町通に面しており、それほど離れていない場所に建っています。 訪れる人がとても少ないので、のんびりと桜を観賞できるのが魅力的です。
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3月24日に京都市上京区の本満寺と阿弥陀寺の桜の様子を見に行きました。 どちらも寺町通に面しており、それほど離れていない場所に建っています。 訪れる人がとても少ないので、のんびりと桜を観賞できるのが魅力的です。
京都市上京区の京都御苑の東に護浄院というお寺が建っています。 地元の人の間では清荒神(きよしこうじん)の愛称で親しまれています。 清荒神の境内には、清浄水無垢(しょうじょうすいむく)の井という名水が湧きだしており、参拝者が自由に汲むことができます。 ということで、無垢の井を汲みに清荒神にお参りをしてきました。
3月初旬に京都御苑を訪れました。 京都御苑には、敷地内の西側に梅林があり、2月中旬頃から梅が開花し始めます。 見頃は、例年なら3月中旬まで続きます。 2014年は、どこも梅の開花が遅れていますが、さすがに3月に入っているので、京都御苑の梅林は、花を咲かせているはずです。
京都市上京区の京都御苑の東に清浄華院(しょうじょうけいん)というお寺があります。 清浄華院は、浄土宗四ヵ本山のひとつに数えられます。 このお寺には、重要文化財の「泣不動縁起」絵巻が伝わっており、境内に建つ不動堂には、泣不動と呼ばれる不動明王が祀られています。 いったい、なぜ、泣不動と呼ばれるようになったのでしょうか。
名水を求めて向かったのは、京都市上京区の梨木神社(なしのきじんじゃ)です。 ここには、染井(そめい)という名水が湧きだしており、以前にも汲みに行ったことがあります。 京都御苑の東隣にある神社なので、交通の便が良く、ペットボトルさえ持っていれば、気軽に汲みに行けるんですよね。
2月3日の節分の日は、多くの寺社に訪れました。 節分の行事に参加できたところもあれば、ただ、境内の雰囲気を楽しんだだけといったところもありました。 どうしても、節分の行事の時間帯が同じなので、主要な行事に参加するとなると数が限られてくるんですよね。 今回の記事では、下御霊神社(しもごりょうじんじゃ)、廬山寺、清浄華院(しょうじょうけいん)の節分の日の様子をお伝えします。 なお、3ヶ所とも、時間が合わなかったので、行事には参加していません。
2月3日に護浄院を訪れました。 目的はもちろん節分祭です。 護浄院は、京都御苑の東にあるお寺で、清荒神(きよしこうじん)の通称で親しまれています。 普段、あまりお参りに行かないお寺なのですが、節分祭が盛り上がるということを知ったので、参拝した次第です。
京都には、名水が湧き出る名所がたくさんあります。 京都市上京区の菅原院天満宮神社もそのひとつですね。 菅原院天満宮神社には、何度もお参りをしているのですが、いつもペットボトルを持参しておらず、名水を汲まずにいました。 一度は名水を汲んで飲んでみようと思っていたので、1月中旬に初詣を兼ねて、菅原院天満宮神社を訪れました。
延元元年(1336年)10月10日に足利尊氏に降伏した後醍醐天皇は、花山院に幽閉されることになりました。 後醍醐天皇の警護は厳しく、使えるのは女房達だけで、吉田定房や万里小路宣房(までのこうじのぶふさ)といった側近たちは、別の場所に監禁され、後醍醐天皇に近づくことを許されませんでした。 11月1日。 足利尊氏が花山院に後醍醐天皇を訪ねてきました。
延元元年(1336年)6月30日に新田義貞率いる後醍醐天皇方の軍勢が、足利尊氏が布陣する東寺に総攻撃をしました。 しかし、この総攻撃は失敗に終わり、後醍醐天皇方は名和長年が戦死するなど、大きな打撃を受けます。 敗報は、翌日に東坂本の仮皇居にいる後醍醐天皇にもたらされ、公卿たちは大いに落胆しました。