時は今、敵は本能寺にあり
天正10年(1582年)6月2日未明、京都で歴史を変える大事件が起こりました。 それは、後に本能寺の変と呼ばれることになります。
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天正10年(1582年)6月2日未明、京都で歴史を変える大事件が起こりました。 それは、後に本能寺の変と呼ばれることになります。
安土桃山時代の茶人として有名な人物といえば千利休ですよね。 千利休は、豊臣秀吉の帰依を受けて茶道を普及させていき、天正15年(1587年)には北野大茶の湯といった一大イベントに深く関わるなど、秀吉との仲も非常によく、政治についても秀吉の良き相談相手でした。 ところが、利休は天正19年に秀吉から突如切腹の命を受け、70歳でその生涯に幕を閉じました。
京都市東山区にある京阪電車の清水五条駅から七条駅の間には、豊臣秀吉と関係のある旧跡が多くあります。 以前に紹介した方広寺や豊国神社は、豊臣秀吉と関係があるものですが、その近くにも秀吉と関係の深い耳塚があります。
京都に関する勘違いに「京都には大仏がある」といったものがあります。 大仏があるのは奈良で、京都には現在、大仏はありません。 京都やその近隣に住んでいる方は、わかっていることなのですが、京都から離れたところにお住まいの方は、意外と奈良と京都について勘違いされることがあるようです。 ただ、京都に大仏があるということも、あながち間違ってはいません。正確には、「京都にも大仏があった」ということになりますが。