京都の歴史一覧

源義経の奥州平泉への旅立ちの地・首途八幡宮

平治元年(1159年)に起こった平治の乱で、平清盛が源義朝に勝ち、以後20年以上もの間、平家の全盛期が訪れました。 しかし、清盛が亡くなって、すぐに平家は衰退し、壇ノ浦の戦い(1185年)で源氏に滅ぼされることになります。 その時、平家を滅ぼした源氏の武将が、源義経でした。

寺田屋事件殉難者が眠るお寺・大黒寺

幕末の事件によく登場する宿のひとつに京都市伏見区の寺田屋があります。 例えば、慶応2年(1866年)には、坂本竜馬が宿泊中に伏見奉行所に捕えられそうになるといった事件が起こったりしています。 坂本竜馬危機一髪・寺田屋 この時の事件は、寺田屋で起こった事件の中でも歴史的に有名なのですが、その4年前の文久2年(1862年)4月23日には、薩摩藩の内部抗争が寺田屋であり、9名の犠牲者を出した寺田屋事件も起こっています。

豊臣秀吉の城下町京都・御土居跡

京都は、山に囲まれた盆地で中心部は平たんとなっています。 そして、碁盤目状に通りが造られていることから、交通渋滞を無視すれば、移動がしやすい街と言えます。 しかし、安土桃山時代の京都は、周囲を壁で囲んだ城郭都市だったため、京都の内から外への移動は非常に不便でした。

新撰組と壬生塚

京都に観光や旅行でお越しになる方の中には、新撰組所縁の地を訪ずれることを目的とされている方も多いのではないでしょうか。 そういった方にとって欠かすことができない新撰組所縁の地は、壬生の八木邸と壬生寺内にある壬生塚でしょう。

源為朝が射抜いた石・平岡八幡宮

源平の争乱の始まりとなったことで有名なのが、保元元年(1156年)に起こった保元の乱です。 保元の乱の時は、まだ源氏と平家が戦うというよりも朝廷を中心とした争いに源氏と平家が参加したという形でした。 乱の原因は、後白河天皇と崇徳上皇との間の権力争いだったのですが、その争いに源氏も平家も身内同士で戦うことになります。 特に源氏は、父の源為義と長男の義朝が敵味方となって戦い、義朝の弟たちは父・為義につきました。 そして、その弟達の中には、弓の名手として知られる源為朝も混ざっていたのです。

新撰組結成の地・八木邸

幕末の京都の治安維持にあたった組織として有名なのが新撰組。 新撰組が結成されたのは、文久3年(1863年)3月ですが、その舞台となったのが中京区の壬生に建つ八木邸です。

平安神宮付近で勃発した保元の乱

平安時代末期の源平の争乱は、壇ノ浦の戦い(1185年)で平家が滅亡したことによって終わりを告げます。 そして、平家滅亡によって源頼朝が鎌倉幕府を開くことになったわけですね。 源平の争乱は、簡単に言うと源氏と平家といった2つの武家の争いなのですが、そのきっかけを作ったのが、保元元年(1156年)に起こった保元の乱だったのです。