京都市左京区の百万遍(ひゃくまんべん)の交差点の北東角に浄土宗四カ本山の一つに数えられる百萬遍知恩寺が建っています。
正面には京都大学があり、街は学生で賑わう。
その百萬遍知恩寺から今出川通を東に約3分歩き、左に目をやると、ちょっとした森林が視界に入ります。
森林の前には、石造の鳥居とそれを囲む玉垣。
ここは、後二條天皇北白川陵(ごにじょうてんのうきたしらかわのみささぎ)です。
大覚寺統の後二条天皇
後二條天皇北白川陵には、京阪電車の出町柳駅から東に約15分歩くと到着します。
入口には、宮内庁の案内があり、ここが後二條天皇北白川陵であり、また、敷地内には、天皇の皇子の邦良親王(くにながしんのう)のお墓もあることが記されています。

宮内庁の案内
左右に松が植わる参道を北に進むと、玉垣に囲まれた鳥居の前に到着。
外から見えた森林のように生い茂る木々が、鳥居の背後を守護しているかのよう。

後二條天皇北白河陵
玉垣の前には、生け垣があり、これ以上先には進めません。
玉垣の右前には、ここが後二條天皇北白川陵であることを示す石柱が立っています。

後二條天皇北白河陵と刻まれた石柱
後二条天皇は、弘安8年(1285年)に誕生し徳治3年(1308年)に崩御しています。
在位期間は、正安3年(1301年)から崩御するまでの7年間。
20代前半と短い生涯が、後の歴史に大きな影響を与えました。
この頃、天皇家は、持明院統(じみょういんとう)と大覚寺統に分かれていました。
2つに分かれていたのは天皇家で争いがあったからですが、鎌倉幕府の仲介で、持明院統と大覚寺統から交互に即位する両統迭立(りょうとうてつりつ)により、一応の決着をみることになります。
後二条天皇は、大覚寺統の天皇で、崩御の後は、持明院統の花園天皇がわずか12歳で即位しています。
後醍醐天皇の即位
花園天皇の在位期間は10年で、その後、大覚寺統に譲位されることになります。
後二条天皇の在位期間は7年。
これは、両統で決められた移譲期間10年より短いものでした。
そこで、花園天皇の即位に際して、大覚寺統への移譲の際はいったん後二条天皇の異母弟である後醍醐天皇を中継ぎとして立て、後二条天皇の皇子の邦良親王を皇太子にすることで合意されます。
後醍醐天皇を経由することなく、邦良親王が即位すれば良いだけではないか。
その疑問はありますが、邦良親王は花園天皇が即位した時は、まだ9歳と幼く、しかも病弱だったことから、後々のことを考えて後醍醐天皇を中継ぎにしたと考えられています。
しかし、後醍醐天皇は、持明院統に皇位を移譲するつもりはなく、倒幕を企む元弘の変を起こすも鎌倉幕府の知るところとなり隠岐に流罪。
その後、持明院統の光厳天皇(こうごんてんのう)が即位し、すでに薨御していた邦良親王の子の康仁親王(やすひとしんのう)が皇太子となります。
これで、再び、後二条天皇の直系に皇位が戻ってくるかに思われましたが、隠岐から脱出した後醍醐天皇が倒幕を成功させ、皇位に返り咲くと、光厳天皇は廃位となり、康仁親王も廃太子となりました。
邦良親王のお墓は、北白川陵内の後二条天皇の陵墓から西に少し歩いた場所にあります。
今出川通からは見えず、まるで即位することなくひっそり薨御した邦良親王の生涯を物語っているようです。