糺(ただす)の森は、京都市左京区に残る原生林。
下鴨神社が鎮座する地として古くから京都人に親しまれてきた地。
森の中に入ると気温が幾分低く感じられることから、暑い夏でも比較的涼しく感じられます。
糺の森の語源は諸説ありますが、この辺りの地形が由来とする説が現在に伝えられています。
森の南にある糺河原
糺の森には、京阪電車の出町柳駅から北西に約5分歩くと到着します。
入口の朱色の玉垣が、ここから先が下鴨神社の神域であることを示す。
カエデを中心に様々な木々が植わる森の中に設けられた一直線の白砂の参道。
木陰になりやすく、日射しの照り返しが少ないため目が疲れにくいのがありがたい。

糺の森
東には高野川、西には賀茂川が流れ、糺の森は両側から川に挟まれる格好になっています。
二川は、森の南でV字に合流し、鴨川へと名を変えます。

賀茂川(左)と高野川(右)
この地形こそが、糺の森の語源だという。
高野川と賀茂川の合流地点は只洲(ただす)と呼ばれ、これが糺となり、河原も糺河原と呼ばれるように。
糺河原の北にうっそうと茂った森。
ということで、糺の森になったのだと。
下鴨神社の祭神との関係も由来と伝えられる
再び、糺の森に戻りましょう。
参道をまっすぐ進んでいくと、朱色の明神鳥居が立ち、さらに奥には、同じく朱色の楼門が建っています。

下鴨神社
楼門をくぐると、木陰が少なくなり、一面が眩しく感じられる境内に社殿が並びます。
さらに中門を北にくぐると、祭神の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と玉依媛命(たまよりひめのみこと)を祀る本殿が建っています。
玉依媛は、瀬見の小川に流れてきた丹塗りの矢を持ち帰ったところ、懐妊して上賀茂神社の祭神の賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)を出産したとの伝承を持つ神さま。
その玉依媛は、多々洲玉依媛(たたすたまよりひめ)とも呼ばれており、それが糺の森の語源だとする説も伝えられています。
河合神社も糺を語源にする
糺の森の参道の西側には、広々とした馬場があり、毎年5月の葵祭では、流鏑馬神事(やぶさめしんじ)や走馬の儀(そうめのぎ)で馬が疾走します。

糺の森の馬場
馬場の南端から西の鳥居をくぐると、下鴨神社の第一の摂社である河合神社(かわいじんじゃ)が現れます。

河合神社
最近は、美人祈願の社として有名になっている当社も、祭神は玉依媛命。
高野川と賀茂川が合流する糺の地にあることが、「河合」の語源と伝わっています。
平安時代には潔斎の場とされるように
糺の森は、只洲の森としておいても良さそうなもの。
それなのに糺に変えられたのは、当地が平安時代に潔斎(みそぎ)の場として知られるようになったからだとも伝えられています。
『新古今和歌集』には、平貞文の以下の歌が収録されています。
いつはりを 糺の杜の ゆふだすき かけつつちかへ われを思はば
糺すは、よしあしを明らかにすること。
上の歌は、偽りを糺す神さまが住む森として、糺の森が当たり前に知られていたことを意味しているのではないでしょうか。
2つの川が交わる場所にできた森。
平安時代の人は、その地に不思議な力を感じていたはず。
だから、単に地形を表す「只洲」ではなく、神さまに心の奥底まで見られているような畏敬の念を表すために「糺」の字をあてたのかもしれません。
真夏でも、少しばかりひんやりと感じられる糺の森。
それは、神さまに背中をさすられて、ぞくっとする感覚とよく似ている。
なお、下鴨神社の詳細については以下のページを参考にしてみてください。