10月22日に木屋町三条に時代祭を見に行きました。
維新勤王隊列が通過した後は、維新志士列の登場です。
幕末に活躍した有名な志士が多く列に加わっていますよ。
人気が高い志士の列
河原町三条の交差点を東に曲がり、維新志士列が木屋町三条に向かって進んできました。

維新志士列
維新志士列は、列が1本だけ。
車道の真ん中を堂々と歩いてきます。
本列は、平安神宮の祭神の孝明天皇100年祭を記念して昭和41年(1966年)に明治維新に活躍した志士たちを顕彰するために新設されています。
志士たちは、当時、20歳から30歳代の青年だったことから、京都青年会議所が奉仕します。
先頭は長州藩士の桂小五郎です。

桂小五郎
今年の桂さんはスラっとした方ですね。
細く剃った青色の月代(さかやき)が個性的です。
桂小五郎は、後の木戸孝允で、維新の三傑の一人。
京都では、新撰組に狙われていましたが、後に妻となる幾松に助けられながら、鴨川に潜伏するなどして窮地を脱しています。
木屋町三条付近には、池田屋事件の跡地に池田屋という居酒屋があり、自動ドアが開くと「新撰組だ。御用改めである」と音声が流れるのですが、残念ながら、桂小五郎が池田屋の前を通過した時にはドアが開きませんでした。
続いて登場するのは薩摩藩士の西郷吉之助、後の西郷隆盛です。

西郷吉之助
今年の西郷さんは、恰幅が良くカメラ目線で笑顔を送ってくれましたよ。
西郷さんの印象にぴったりの方ですね。
西郷隆盛も、木戸孝允と同じく維新の三傑の一人です。
嘉永6年(1853年)の黒船来航の頃から活躍していた古参の志士で、倒幕に大きな貢献をしています。
ちなみに同じ薩摩藩士の大久保利通も維新の三傑に数えられていますが、時代祭には登場しません。
続いてやってきたのは、坂本竜馬。

坂本竜馬
浪人のような格好で、右腕を懐に入れています。
今にもピストルを取り出しそうな雰囲気が漂っていますが、何事もなく通過していきました。
慶応3年(1867年)に竜馬は暗殺されましたが、その現場である近江屋跡は、河原町三条から南に約5分歩いた辺りに石碑が立っていますよ。
また、木屋町三条の少し南には、竜馬が設立した海援隊が逗留していた酢屋もあります。
坂本竜馬の次は、同じ土佐藩士の中岡慎太郎がやって来ました。

中岡慎太郎
竜馬よりも、身なりの良い着物を着て背筋を伸ばし歩いています。
中岡慎太郎も、竜馬とともに薩長同盟の締結に尽力したことで知られていますね。
しかし、竜馬と同じく近江屋で暗殺されました。
近江屋跡から南に徒歩約5分、四条河原町の少し北に中岡慎太郎の寓居跡を示す石碑が立っていますよ。
お次は、長州藩士の高杉晋作の登場。

高杉晋作
桂小五郎と同じく、月代を細く剃り上げていますね。
高杉晋作は、品川の英国領事館を焼き討ちしたり、幕府の長州征伐で奇兵隊を率いて交戦したことで知られています。
京都で、孝明天皇の賀茂行幸にお供する徳川家茂に「いよ、征夷大将軍」と声をかけた逸話が残っています。
七卿落ちと武士たちの列
続いて登場したのは、七卿落ちの列です。

七卿落ち
笠を被り蓑を羽織ったお疲れ気味の7人が重たそうな足取りで進んでいきます。
文久3年(1863年)の八月十八日の政変で京都政界から追放された7人の公卿が長州に落ちていく様子を再現しているのがこの列です。
先頭は、久留米の神官の真木和泉(まきいずみ)、その次を行くのは長州藩士の久坂玄瑞(くさかげんずい)で、両人は甲冑を着ています。
その後に続くのが、三条実美、三条西季知(さんじょうにしすえとも)、東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)、壬生基修(みぶもとのぶ)、四条隆謌(しじょうたかうた)、錦小路頼徳(にしきのこうじよりのり)、澤宣嘉(さわのぶよし)です。
七卿落ちの時は、雨が降り肌寒かったようですが、この日も小雨が降って10月下旬にしては寒かったですね。
天候も七卿落ちを再現してくれているようでしたよ。
続いて、吉村寅太郎。

吉村寅太郎
天誅組とともに奈良に乗り込み倒幕の先駆けとなろうとしましたが失敗しています。
それでも、明治維新の実現に与えた影響は大きいと評価されされています。
時代祭に登場する吉村寅太郎は、これから挙兵しようとするところなのでしょうね。
次は頼三樹三郎と梅田雲浜。

頼三樹三郎(左)と梅田雲浜(右)
ともに将軍継嗣問題で一橋慶喜の擁立を画策したことから、井伊直弼の安政の大獄で捕縛されています。
ちなみに時代祭の行列が通る烏丸御池の北には梅田雲浜邸址の石碑が立っていますよ。
ここを通過する時の梅田雲浜は感無量でしょう。
笠を目深にかぶって登場したのは福井藩士の橋本左内です。

橋本左内
何やら隠密のような姿です。
橋本左内も一橋慶喜の将軍擁立や幕政改革に奔走し安政の大獄で処罰されていますから、裏で密かに動いていたような恰好なのでしょうか。
そして、長州藩士の吉田松陰。

吉田松陰
松下村塾を開き、塾生には、高杉晋作や久坂玄瑞など、明治維新に貢献した人物が多数います。
扇子を持って歩いていくさまが、いかにも賢そうに見えますね。
吉田松陰もまた老中暗殺を企てた罪により、安政の大獄で処罰されています。
公卿たちの列
維新志士列の後半は、公卿がずらっと並びます。
最初に登場するのは、近衛忠煕(このえただひろ)ですが写真を撮り忘れました。
その次に登場した緋色の着物を来た公卿は姉小路公知(あねのこうじきんとも)です。

姉小路公知(左)と三条実万(右)
後ろに続くのは、三条実万(さんじょうさねつむ)です。
姉小路公知は、なかなかがっしりとした方。
実際の姉小路公知も公卿にしては肝が据わっていたと伝えられています。
彼は、猿ヶ辻の変で暗殺されていますね。
三条実万は、今天神と呼ばれるほど賢かった公卿で、七卿落ちに登場した三条実美のお父さんです。
両手を袖に入れて歩いているのが、何か思案しているようで賢そうな印象を与えていましたよ。
次は、中山忠能(なかやまただやす)です。

中山忠能
明治天皇のおじいさんですね。
息子の忠光は天誅組の変に加担し、後に暗殺されています。
最後に登場したのは福岡藩士の平野国臣(ひらのくにおみ)。

平野国臣
天誅組に呼応するように生野の変を起こすも失敗し、六角獄舎に入れられてしまいます。
その後、蛤御門(はまぐりごもん)の変が起こると、そのどさくさに紛れて殺害され、竹林寺に供養されています。
今年の時代祭の平野さんは、柔和な面持ちで、とても挙兵しそうな印象はありませんでしたよ。
薄曇りの日でも、衣装の緑色が清々しいですね。
なお、名誉奉行から明治維新時代までは動画にも収めていますのでご覧になってください。
この後は、徳川城使上洛列が登場します。