京都御所の鬼門封じ

京都市上京区の京都御苑内にある京都御所は、四方を築地塀に囲まれています。

この築地塀の四隅をよく観察すると、北東角だけくぼんでいるのに気づきます。

設計ミス?

違います。

鬼門封じという役目を持たすため、あえてくぼませているのです。

災いは東北から侵入する

京都御所の最寄り駅は、地下鉄の丸太町駅もしくは今出川駅で、どちらも出てすぐ目の前に京都御苑があります。

まず、京都御所を囲む築地塀の南東角を見てみましょう。

下の写真に写っているように角ばっていますよね。

南東角

南東角

塀の下側に注目すると、90度になっているのがわかります。

北西角も、くぼんではいません。

北西角

北西角

そして、北東角。

下の写真はわかりづらいですが、三角の瓦屋根が2つ付いており、地面に目を移すと溝の曲がりが2ヶ所あることから、この部分だけくぼんでいるのがわかります。

北東角

北東角

陰陽道では、悪霊は東北から出入りすることから表鬼門とされています。

そこで、東北角に細工を施して悪霊の侵入を防ごうとしたのが鬼門封じです。

その方法は、東北角に欠きこみを作ること。

これにより、悪霊を御所内に侵入させないようにしたのです。

そして、屋根の下には、御幣を担いだ猿がいます。

御幣を担いだ猿

御幣を担いだ猿

猿は、「難が去る(猿)」に通じ魔除けの効果があると信仰されていたため、鬼門封じのために東北角に置かれたんですね。

そして、東北角に猿がいることから、この付近は猿ヶ辻と呼ばれています。

文久2年(1868年)に公卿の姉小路公知が暗殺されたのはこの辺りということから、猿ヶ辻の変と言います。

この事件は、朔平門(さくへいもん)の変や朔平門外の変とも呼ばれています。

朔平門は鬼門除けから西に100メートルくらい歩いたところにある京都御所の北側中央部分の門です。

朔平門

朔平門

鬼門除けと朔平門とは割と距離があるのに朔平門の変ということに長年疑問を持っていたのですが、宮内庁の以下のページに慶応2年(1866年)に御所の敷地が拡張された際に猿ヶ辻が今の位置になった旨が記載されているのを知り、その疑問が氷解しました。

事件が起こった当時は、鬼門除けと朔平門の距離が今よりずっと近かったんですね。

だから、位置的に大差なく、猿ヶ辻の変と呼ぼうが朔平門の変と呼ぼうが、あまり気にならなかったのでしょう。

京都御苑を訪れた際は、鬼門除けと他の築地塀の角を見比べて違いを確かめてください。

なお、京都御所の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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