京都市右京区に建つ仁和寺は、世界遺産に登録されている門跡寺院(もんぜきじいん)です。
門跡寺院とは、代々皇族関係者が住職をつとめてきた格式の高いお寺のことです。
仁和寺は、最高位の門跡寺院とされています。
境内には、内裏(だいり)から下賜された金堂が建ち、気品のある外観が特徴的です。
仁和寺の金堂
下の写真に写っているのが、金堂です。
お寺の建物は、古い木造家屋のような外観をしていることが多いですが、仁和寺の金堂は、見るからにきらびやかです。
金堂は、仁和寺の本堂で、本尊として阿弥陀三尊を祀っています。
以前、京の冬の旅で内部を拝観したことがありますが、その荘厳さに圧倒されましたね。
仁和寺は、仁和2年(886年)に光孝天皇の勅願で、大内山のふもとに建設が始まりました。
しかし、翌年に光孝天皇が崩御したため、その遺志を宇多天皇が継ぎ、仁和4年に完成させています。
比叡山の延暦寺のように仁和寺は、年号を寺名としています。
御室御所(おむろごしょ)とも呼ばれた仁和寺ですが、応仁の乱(1467年)で全焼してしまいます。
再建されたのは、それから約160年後の寛永11年(1634年)で、後陽成天皇の皇子で仁和寺座主の覚深法親王(かくしんほっしんのう)が、江戸幕府3代将軍徳川家光の援助を受けて再興しました。
同じ頃、内裏の再建も行われており、慶長18年(1613年)に建てられた元の内裏の建物が仁和寺に下賜されます。
現在の仁和寺の金堂も、この時に下賜された内裏の紫宸殿(ししんでん)で、そのままの姿で移築されました。
内裏は現在の京都御所のことで、現存する紫宸殿は、仁和寺の金堂より大規模です。
高山寺に移された仮金堂
応仁の乱で全焼した仁和寺でしたが、江戸時代に再建されるまでの間、双ヶ岡(ならびがおか)に残った子院の真光院に仮寓していました。
以前に紹介した『京都 知られざる歴史探検』の下巻によると、真光院の仮金堂は、江戸時代の再建の時に栂尾(とがのお)の高山寺に移されたそうです。
その仮金堂は、高山寺の金堂となり、現在も見ることができます。
見た目は、現在の仁和寺の金堂よりも質素ですね。
木々に囲まれた高山寺では、こちらの方がよく似合っています。
古くなっても、再利用されることで、歴史を知ることができるんですね。
高山寺も、仁和寺と同じく世界遺産に登録されていますよ。
現在の仁和寺の金堂が、きらびやかで気品を感じられるのは、内裏の紫宸殿を移築したからなんですね。
平安時代の建物は、もう見ることができませんが、当時の金堂もきっと立派な姿をしていたのでしょう。
なお、仁和寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。