夏の終わりを感じる廬山寺・2019年

8月下旬に京都市上京区の梨木神社(なしのきじんじゃ)に参拝した後、寺町通を挟んで東隣に建つ廬山寺(ろざんじ)を訪れました。

廬山寺は、源氏物語の作者の紫式部の邸宅跡と伝わる地に建つお寺です。

歴史的に興味深い場所にある廬山寺ですが、普段は旅行や観光で訪れる人が少なく、混雑することは滅多にありませんね。

おみくじの始まりは元三大師

廬山寺は、地下鉄の今出川駅から南東に徒歩約10分の場所に建っています。

京阪電車の出町柳駅からだと南西に徒歩約10分です。

寺町通に面する山門の前に到着。

山門

山門

山門をくぐった正面には元三大師堂が建っています。

元三大師堂

元三大師堂

廬山寺は、天慶年間(938年-947年)に元三大師が北山に創建した与願金剛院(よがんこんごういん)が始まりです。

後に船岡山に移転し、中国の廬山にならって現在の寺名になりました。

ちなみに廬山寺の正式名称は、日本廬山天台講寺です。

廬山寺が現在地に移ってきたのは、豊臣秀吉の京都改造の時です。

それでは、元三大師堂にお参りをしましょう。

元三大師堂の中には、おみくじ箱が置かれています。

おみくじは、いろんな神社やお寺で引くことができますが、元三大師が人々の安穏と繁栄を守らんがために易学を基礎にして誰にでもわかりやすく作ったことが始まりだそうです。

また、おみくじは、別名百籤ノ法(びゃくせんのほう)とも呼ばれています。

境内の風景

元三大師堂にお参りを済ませた後は、境内を散策。

境内の中央にはきれいに手入れされた松が植えられています。

松

松の奥には、源氏庭の受付があります。

源氏庭では夏から初秋にかけてキキョウがきれいに咲きます。

私は以前に源氏庭のキキョウを見たことがあるので、今回は拝観しませんでした。

源氏庭を拝観したのは8年前のことです。

もう、そんなに歳月が過ぎていたとは。

境内の南側には、木々に囲まれて、ひっそりと筆塚が立っています。

筆塚

筆塚

源氏庭の塀際には、大貮三位(だいにのさんみ)と紫式部の歌碑が置かれています。

大貮三位と紫式部の歌碑

大貮三位と紫式部の歌碑

大貮三位は、名を賢子(かたこ)といい、母は紫式部です。

大貮三位は、後冷泉天皇(ごれいぜいてんのう)の乳母(めのと)となり、三位典侍(ないしのすけ)に昇進します。

また、太宰大貮の高階成章(たかしなのなりあき)と結婚したことから、宮廷で大貮三位と呼ばれました。

歌人としては母の紫式部に匹敵するほどの才能を持ち、歌集「大貮三位集」を遺しています。

廬山寺が、紫式部邸の推定地とされるのは、四辻善成(よつつじよしなり)の河海抄(かかいしょう)に紫式部邸の位置が「正親町(おおぎまち)以南、京極西頬(つら)、今東北院向也(とうほくいんむかいなり)」という記述があるからです。

また、曾祖父の藤原兼輔の屋敷があった地で、父の藤原為時に譲ったことから、ここで源氏物語や紫式部日記を執筆したという説もあります。

源氏庭の南側の参道を歩きます。

源氏庭の南側

源氏庭の南側

カエデの葉が透き通るような黄緑色をしています。

源氏庭の東側にやってくると、サルスベリが咲いていました。

サルスベリ

サルスベリ

でも、サルスベリの花は少なくなっており、夏が終わりに近づいているのを感じます。

源氏庭の東側には、他に華道専慶流家元の桑原冨春軒の塔もあります。

桑原富春軒塔

桑原富春軒塔

廬山寺に参拝しても、源氏庭の東側まで来る人は少ないので、このような石碑が立っていることを知っている人はあまりいないと思います。

再び山門の近くに戻ってきました。

小さな鎮守社が境内を守るように建っています。

鎮守社

鎮守社

竹筒の先から流れ落ちた水が、手水鉢に波紋を作っています。

手水鉢

手水鉢

真夏に流れる水を見ると涼しく感じますが、暑さが和らぎ始める頃に見ると、なんとなく寂しい気分になります。

この後は、廬山寺の北に建つ清浄華院(しょうじょうけいん)に参拝しました。

なお、廬山寺の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

宿泊



京都桜photo