伏見桃山城にある引野收の樹霊碑

2月中旬に京都市伏見区の伏見桃山城に梅を見に行った時、城内に「樹霊碑」という石碑があるのに気が付きました。

以前にも、伏見桃山城を訪れているので、その時にも見ているはずなのですが記憶になかったですね。

昭和の子規と呼ばれた引野收

伏見桃山城は、近鉄丹波橋駅または京阪電車の丹波橋駅から東に15分から20分ほど歩いた辺りにあります。

城門をくぐって城内に入ると中央に天守閣が建っています。

伏見桃山城

伏見桃山城

その天守閣の石垣の下に樹霊碑が置かれています。

樹霊碑

樹霊碑

樹霊碑には以下の歌が刻まれています。

永遠とおもえる
ながき時のなか
樫立てり黄なる
あやくもの果て

この歌は、「昭和の子規」と呼ばれた引野收(ひきのおさむ)が詠んだものです。

樹霊碑の隣にある引野収「樹霊碑」保存会の説明書によると、引野收は、伏見桃山城の北西桃山町正宗坂で40年間にわたり絶対安静の寝たきり生活を送りながら歌人である妻の濱田陽子とともにいのちや平和の尊さを歌い続けたそうです。

正岡子規も病床にありながら歌を詠み続けたので、引野收は「昭和の子規」と称えられたのですね。

引野收は、妻の陽子、彼を慕う歌人、岡本隆一医師、松井博史医師夫妻ら近隣の人々の献身的な支えがあって70年の生涯をこの地で終えました。

樹霊碑に刻まれている歌には、桃山の美しい夕景だけではなく、永遠に生き続ける樫の樹々に、いきることへの賛歌、平安の祈りが込められています。

樹霊碑は、昭和48年(1973年)に「短歌世代」同人によって、この庭園西南隅に建立されたのですが、平成19年(2007年)の運動公園開設を記念して現在地に移されました。

引野收が亡くなったのは昭和63年です。

したがって、樹霊碑が建立された頃も、病床で歌を詠んでいたんですね。

伏見桃山城の北側の上坂橋通りを東へ歩いた八科峠には、濱田陽子の歌碑も置かれているそうです。

歌碑には「峠路はやすらぎに似て風吹けり石も木草もなべてかがやく」の歌が刻まれているとのこと。

機会があれば、濱田陽子の歌碑も見に行きたいですね。

京都には、たくさんの石碑が置かれいます。

偶然通りかかって気付く石碑も多く、そして、その時に初めて知る人物や歴史的事件があります。

引野收もそうでした。

なお、引野收については以下のWEBサイトに略歴が掲載されていますので、ご覧になってください。

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