真如堂の小林君之碑

京都市左京区の真如堂には、いくつか石碑があります。

それらの碑文を見ても、何を書いているのか全くわかりません。

でも、石碑の近くには、説明書が設置されているので、それを読むと、石碑の意味が理解できます。

本堂の南側にある小林君之碑(おばやしくんのひ)も、最初は何の石碑かまったくわからなかったのですが、お寺が用意している説明書のおかげでその内容がわかりました。

フランス軍航空兵となった小林祝之助

真如堂は、市バス停「錦林車庫前」から西に5分ほど歩いた辺りに建っています。

下の写真に写っているのが、真如堂にある小林君之碑です。

碑文は、平仮名も混ざっているので文章を理解できないことはないのですが、石に刻まれた文字は見にくいので、近くにある説明書を読んで内容を理解することに。

小林君之碑

小林君之碑

小林君とは、小林祝之助(おばやししゅくのすけ)のことです。

明治25年(1892年)に哲学の道の近くに建つ大豊神社の宮司の長男として生まれました。

小林祝之助は、大正2年(1913年)5月4日に伏見の深草練兵場で初めて見た飛行機が着陸に失敗し、操縦士飛行家武石浩玻が死亡したのを目撃し衝撃を受けます。

これがきっかけになって飛ぶことに憧れ、操縦を学ぶために第1次世界大戦の最中にフランスに渡ります。

その後、正式にフランス軍航空兵となった小林祝之助は、クーヴルの上空でドイツ軍機と戦い、大正7年6月7日に撃墜されて戦死しました。

小林祝之助の戦死に対して、フランス大統領はクロバドーゲル勲章並びに感状を父の忠一に贈り、彼の武勲を表彰したとのこと。

小林祝之助という名は、真如堂のこの石碑を見るまで全く知りませんでした。

おそらく、その名を知っている人の方が少ないでしょう。

でも、石碑が建立されたということは、当時は新聞などで大きく取り上げられたのかもしれません。

石碑には、「大正十四年」と刻まれているので、小林祝之助の戦死から7年後に建立されたようです。

京都市内には、たくさんの石碑がありますが、その多くは日本の歴史に関係するものです。

小林君之碑のような石碑は珍しいですね。

このような珍しい石碑は、探しに行って見つかることは滅多になく、たまたま通りかかった時に発見することが多いです。

このたまたま石碑を発見できるのも、京都散策の魅力のひとつですね。

なお、真如堂の詳細については以下のページを参考にしてみてください。

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